古来玄海灘や東シナ海は細い道であって、中国文明の文物を日本にもたらしたが、同時に日本を中国の支配から隔離する壁でもあった。和冠や日本人町建設などの海外進出の歴史はあるものの、日本はペリーの浦賀来航によって初めて本格的に世界的なコミュニケーションの構造のなかに組み込まれたのであり、そのような文脈において日本はその国民的目標を近代化(つまり西洋化)におかざるをえなかった。近代化(つまり西洋化)を追求した明治以来の日本は、最終的にアメリカと太平洋の覇権をめぐって争い敗れた。戦後の日本は外交と防衛をアメリカに依存し、経済的合理主義だけを国是として今日にいたっているが、その処方箋の有効期限は次第に限られたものとなってきている。
冷戦の終焉によって象徴される世界大の政治経済秩序の根本的再編成と情報革命によって象徴される世界的コミュニケーション構造の巨大な変化は、日本自身に対しても歴史的転換点における選択を迫っている。現在日本国内において日本という国家や社会のもつ体質の構造的な改革の必要性をめぐって活発な議論が行われているのも、ある意味では当然のことといわなければなるまい。しかし、ここでわれわれが認識しなければならないのは、そのような国内改革によって体質を改善したとしても、外に向かって日本はどのようなかかわり方をしてゆくべきかという国民的目標の自覚が欠如しているならば、日本はあいかわらず世界の海をさすらう漂流船にすぎなく、そのような漂流船は21世紀の海の波の高さを思えば、座礁や難破を避けられないであろうということである。
いまや太平洋世界がかつての地中海世界や大西洋世界に取って代わる世界の異文明間交流の中心的舞台として登場しつつある。コミュニケーションの手段としての海のもつ意味もまた、空や宇宙や、さらにはインターネットのような情報通信手段をも含むものとして拡大解釈されなければなるまい。海にはフロンティアとしての意味も込められているが、そのようなフロンティアもまた、海から海底へ、南極大陸へ、そして宇宙へと広がりつつある。このような構造のなかで日本の将来は、日本がどれほどこれらのコミュニケーションの構造をわがものとし、それをつうじて世界と積極的にかかわってゆけるかにかかっているといってよい。国民的目標というものは世界のコミュニケーションの構造のなかでその国民がどのような位置を占めるかによって規定されているとすれば、われわれはまず自分たちが何者であるかのアイデンティティをしっかりと確立する必要があるであろう。つぎに、今日的世界における諸文明と諸国家の相互連関の関係において日本がどのような位置と役割を占めるべきであるかの認識が求められるであろう。このようにして最後に、外に開かれた日本のありようとして、その具体的な大戦略が姿を現すのである。