例えばポエニ戦役、第2ポエニ戦役があって、それで地中海の制海権を完全にローマが握った。ローマが、じゃあ、どうしてローマは海洋民族になり得なかったのか。では、ほかの国が、例えばバイキングが、何をもって海洋民族であったのか、どのような理由からか、あるいは原因からか、ということをお聞かせいただきたいと思います。
伊藤憲一(進行司会者) どうもありがとうございました。
それでは、高瀬さん。
高瀬康夫 どうもありがとうございます。私、現役の外務省の役人で、こういうところで現役の役人がしゃべると、つまらないことしか言わない、言えないと思われがちなので、逆に私が申し上げることが別に政府の公式見解でも外務省の公式見解でもないということをお断りした上で、余り固くならないようにお話しさせていただきたいと思います。
森本先生のお話、興味深く伺わせていただきました。歴史に学んで、今後どうするかを考えていくうえで、大変有意義なお話であったと思います。私、国連海洋法条約を外務省で担当していますけれども、4回目に山本草二先生がレクチャーなさるので、私が海洋法条約のことをここでお話しすると4回目にボロが出るということがわかっていますのであまり深入りしません。簡単に言うと、今森本先生よりお話のあったかつての海の利用というか、海というのは基本的にすべて自由なもので、海洋国家とか何とかいっても、基本的にはどこかの陸を目指して海を使う、あるいは陸にあるもの、資源、あるいは古い言い方ですと宝物を目指して海を使うというのが歴史的な海の使い方だったと思うんです。
ところが、今の海洋法条約、戦後のいわゆる海洋法会議での議論の根底にあるのは、ちょっと言い過ぎかとは思うんですけれども、海は全く自由なもので、だれがどう使ってもいいというものじゃなくて、要するに分割と共有という考えで今の海洋法条約というのはできているといえましょう。もちろん海運、航行の自由というのは最後の最後まで日本、アメリカなどが頑張り残りましたけれども、海の空間あるいは資源は、まずは200海里経済水域ないし大陸棚で分割するという主張と、それ以遠のいわゆる深海底というか、深海底に眠る資源、それはみんなのものだ、要するに人類共通の資源だという理念から海洋法条約というのが成立しています。そういった意味で、海の問題に限らないと思いますけれども、力のある者だけが得をするという世の中ではなくなってくるという今後の世界をめぐる情勢の中で、まさに海をどう使うか、あるいはそういう中でどのような海洋国家というものになっていくのかという視点で考えないといけないと思います。