その衰退、没落、滅亡の背後になにがあったのか。繁栄のさなかに内部で音を立てて崩れていたものがあったのではないか。そこに経済的な繁栄と裏腹にナショナリズムの衰退という問題が絡んでいるのではないかと想像しているんです。栄えた国が滅びるとき、必ず先行してナショナリズムの弱体化――言い換えればグローバリズムヘの埋没という問題が起こっているのではないか。
冒頭、グローバリズムを引き受ける覚悟が必要だと申し上げましたが、しかし、これは考えてみると大変なことでありまして、人間というのはしょせんそんなに強い存在ではない。ある種の「仕切り」というものの中で安心する、それが人間の本質ではないかという気もします。無理に無理を重ねてグローバリズムを引き受けるということは、逆に衰退、滅亡を早めるのではないでしょうか。
伊藤憲一(進行司会者) それでは、秋元さん、お願いします。
秋元一峰 大変勉強になるお話をありがとうございました。私は、研究所で「海」そのものを安全保障の観点から見ております。今、森本先生からは、人類が海洋にいかに進出し、その結果、国家がいかに繁栄を得てきたかというお話があったものと思います。「海」そのものから見ますと、フェニキアからアメリカに至るまで、幾つかの海洋国家が海洋と国家との関わりの歴史を築いてきましたが、それぞれの海洋国家が関わりを持った海洋の性質は、決して同一ではなかったと思います。私はそれを、「海洋世界のパラダイムシフト」と呼んでいます。例えば、ローマが地中海を舞台とした海洋国家になり、それによってローマ帝国を作り上げますが、やがて地中海はローマによる一種の閉鎖海になったかのような時代を迎えます。それを、「閉鎖海洋世界」と呼ぶことができます。地中海に「閉鎖海洋世界」が作られている間に、ちゃっかりと栄えていた、鄭和が活躍したインド洋海洋圏は、「トランスナショナルなユーラシア海洋世界」と言えるのではないでしょうか。やがて大航海時代を迎え、海洋国家が「閉鎖海洋世界」から外洋に出て行きますが、ここで私は、レパントの海戦が非常に大きなエポックになっていると思います。レパントの海戦後、大航海に海軍力が伴うようになり、それが国家のシーレーンを延伸させる力となり、国家のシーパワーの概念が形成されていきます。「海洋自由」という名に置き換えられた、つまり、海洋国家の覇権によって作られた海洋世界としての、「自由海洋世界」が誕生しました。その後、第二次世界大戦後の冷戦時代、わずか50年の世界でありましたが、パワーバランスが海洋世界にも入り込んできて、「パワーバランスの海洋世界」が作られました。