このままいきますと、キューバとか北朝鮮などは世界によって経済封鎖されていますけれども、日本はみずから経済封鎖というか、港においてはみずからが好んで封鎖しているのではないかというような陰口さえ聞こえるところでございます。
そういった港の規制の問題の解決を図らなければならない。また、そうしていくのが我々の仕事であるということと、もう一つ、島国どころか、海洋国家どころか、海岸国家であるというお話がございましたけれども、最近、英語を第二公用語にしたらどうかという提言が出て、いろいろと賛否両論出ているところでございますが、それはともかくとして、私は国会議員に英語を義務づけよと思っております。別にペラペラと英語がうまいとか、そういうことを言っているのではなくて、信念を持っていれば何語でもいいんですけれども、まず政治をやっている人間として英語の一つもしゃべらなければ、ほかとのほんとうの意味の人間の交流はできないんじゃないかと強く思っておりまして、これが意外と効くんじゃないか。これが実は政治改革のすごい効き目になる方法ではないかというと、古い人たちに言うと非常に嫌味だと言われてしかられちゃうんですけれども、意外とこの方法は効くなと思っております。
長くなりました。失礼しました。
伊藤憲一(進行司会者) どうもありがとうございました。それでは、遠藤さん、お願いします。
遠藤浩一 グローバリズムとナショナリズムの関係についてお伺いしたいと思います。この問題はあるいは過去2年に議論されてきたのかもしれませんけれども、森本先生のお話を伺いながら改めて気になってきたのです。海洋国家として外に向かって日本が戦略的に展開していくということは、グローバリズムを引き受ける覚悟が必要になってきます。もちろんこれはグローバリズムに埋没するということでもないですし、グローバリズムの前で体を縮めてやり過ごすということでもない。胸を広げてそれを引き受けるということだろうと思うんですが、ところが、今の日本にそれを引き受けるだけの体力、知力、精神力、そういうものがあるのかどうか、私自身は非常に心もとない思いがしています。
ところで、フェニキア、ギリシャ、アラビア、インド、オランダ、英国といった、かつて海洋国家として覇権を押さえた国家がその後なぜ衰退したのか、没落したのか、あるいは滅亡したのか。