ところが、太平洋戦争では「海の大国」アメリカに破れました。戦艦大和の沈没というのは、この意味で、たいへん象徴的な出来事です。
けれど、よくよく歴史をふりかえってみると、日本人で勇敢にも海へ乗り出して行った、という人物はほとんどありません。となると、日本人は「海洋民族」というより、「海岸民族」(これは山崎正和氏の表現ですが)でいた時期のほうが長かったように思います。荒海を乗り越えて未知の世界をめざす、あるいは、積極的に海を利用する、といった発想を、日本人はあまり持たなかった、縄文時代の遺跡からは海を介した地域間の交易を示すものが出土していますから、もともとは海に囲まれた民族らしく「海」の民の性格を持っていたはずですが、次第にそれが希薄になってしまったのかもしれません。江戸時代の鎖国政策が、さらにそれに拍車をかけた。日本海海戦での勝利は、記憶の底に眠っていたものが目覚めたゆえだったのでしょうか。
しかし、これからは、「海」からの視点、「海」への視線をもっと意識しなければならないと私は思います。
21世紀、陸上資源の枯渇も心配されるなかでは、これからは海の資源をどう利用するかが問題になるでしょう。世界がますます相互関係、相互依存を深めていくなかで、交易、軍事、その両方の舞台となりうる「海」の存在は、さらに重要なものになっていくはずです。
そして、また、世界史の舞台が地中海、インド洋、大西洋とひろがっていったことを考えますと、21世紀は太平洋の時代、ということにもなろうかと思います。
今日はフェニキアからお話を始めましたので、つい触れることなくきてしまいましたが、太平洋の海洋民族といえば、ポリネシア人です。彼らがポリネシア諸島に海を渡って移住したのは今から2000年前と言われております。海図も羅針盤も、天文の測定器具もなしに、木の葉のような船で、この広い太平洋をニュージーランド、ハワイからイースター島まで…。
太古のポリネシア人と同様に、とまではいかなくとも、我々も「海の民」たるべく、海へ向かう長く広い視野を持たねばならない。地球の四分の三を占める「海」の秩序は、21世紀の世界秩序にかかせないものです。そのために日本は何を成し得るのか、これがいま我々が問うべき課題ではなかろうかと思います。