これはスペインの『ドン・キホーテ』とまさに双壁をなすといっていいでしょう。冒頭でご紹介したカール・シュミットは、クジラが海を開いていったと書いておりますが、『白鯨』の世界がまさにそうですね。いまでこそ捕鯨禁止を唱えておりますが、アメリカもかつては捕鯨大国だったわけですから。クジラを追って海が開かれていく。ペリーが日本にやってきて開港を迫った目的のひとつには、アメリカの捕鯨船の補給基地を確保することもあった。
それでは、「陸の民」は、どの民族なのでしょう。
まっさきに挙げられるのは、ユダヤ人です。彼らほど海を恐れた民族はいないのではないでしょうか。考えてみれば、なんとも不思議な話です。イスラエルのすぐ北のレバノン地方を本拠地としていたフェニキア人は名だたる「海の民」でしたし、近隣のエジプトもナイルの水運をおおいに利用していた。アラビア人は、先にも申し上げたように交易の場を求めて海へも乗り出しました。まわりはほとんど「海の民」ばかりなのに、なぜか、ユダヤ人は海が怖いんですね。
どのようなところからそうした結論が出てくるかといいますと、「旧約聖書」に語られる数々の話があります。たとえば、出エジプト記の有名な場面。モーゼに率いられてユダヤの民が紅海を渡るところです。海が開いてユダヤの民を通し、あとを追ってきたエジプト軍が渡ろうとすると海はもとに戻り、エジプト人は溺れてしまったというくだりです。これは、おそらく潮がひいて浅瀬になったところをユダヤ人たちが渡っていったのだ、ということではないかと思われるのですが、逆に見るなら、彼らはそこを渡れないがために長い間奴隷生活に甘んじなければならなかった、ということにもなる。
エレミア書には、神は砂浜を海の境と定め、海はそれを超えることはできない、という表現があります。そして、ノアの洪水。これは人間に対する神の罰としてもたらされたわけですから、彼らにとって想像を絶する厄災が洪水、つまり水の脅威だったということでしょう。
このほかに「陸の民」を挙げるとすれば、ロシア、ヨーロッパ内陸の国々、そして、鄭和以後の中国ということになりましょう。
それでは、日本は「陸」「海」どちらの民か。まわりを海に囲まれた日本は、とうぜん、「海の民」であってしかるべきでしょう。現に日本は、日露戦争時、日本海海戦で「陸の大国」ロシアを破り、そのことで世界史に躍り出たわけです。