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発掘されたミノスの王宮には美しい壁画がありますが、海の魚たちや花々など、いずれもたいへん優しい図柄ばかりで、そこから推して、彼らは海洋民族ではあったけれども、戦闘的ではなく、交易によって豊かさを得ていたのではないかともいわれております。果たしてそのとおりだったかどうかは、私にはわかりませんが、ミノア文明が当時の地中海の王者であったことは間違いないでしょう。その後、サントリーニ島に起こった火山の大爆発がきっかけになったと考えられていますが、ミノア人たちの活動が沈滞化すると、こんどは、その隙を狙うようにギリシア人が入ってくる。そしてギリシア人はミノア文明を自分たちの文明に取り入れていくわけです。ここにも、海を舞台に勢力の移り変わりがみられます。

ところで、ローマのその後に話をもどしましょう。

カルタゴを打ち破ったローマは、地中海世界の覇権を握りますが、ローマが「大ローマ帝国」へと発展する道筋をつけたのも、海での戦いでした。アントニウスがエジプトのクレオパトラとともに、オクタヴィアヌスを敵に回して戦ったアクティムの戦いです。シーザー暗殺後、オクタヴィアヌスはイタリア本土を、アントニウスは東の地方、いまのトルコ、シリアのあたりを中心に治めるということで、はじめは仲良く統治していたのですが、最終的に、皇帝の座を争うことになった。その決戦の場というのが海だったんです。

アントニウスとクレオパトラの連合軍の艦船は、オクタヴィアヌスのものよりはるかに巨大だった。ところがオクタヴィアヌスは、小型艦船の機動力をフルに利用することで、勝ちをおさめます。結局、破れたアントニウスとクレオパトラは自殺。ローマはオクタヴィアヌスを皇帝に戴いて、大ローマ帝国へと発展していくことになりました。となると、ローマを世界帝国に導いたのは、海戦、つまり海がローマの運命を決したとも言えましょう。

そのローマ帝国が滅亡し、中世になりますと、十字軍の聖地奪還機運が盛り上がります。紀元11、12世紀ころのことですが、このとき、おおいに活躍したのが、やはり「海の民」ベネチア。都市国家ベネチアは、それまでもアラビアとの交易で富を得ていましたが、海運力を必要とした十字軍のおかげで、いっそうの繁栄をみることになったわけです。

さて、その後、15、16世紀になって、コロンブスやマゼランの登場する「大航海時代」がやってくる、と、世界史ではそうなるのですが、しかし、じつはそれ以前に、すでにインド洋貿易が最盛期を迎えておりました。ヨーロッパが中世の暗やみに沈んでいたころ、アジアは大変な活況を呈していたんです。

 

 

 

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