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百戦百勝というくらい陸の力を発揮していたわけです。それが、海の民カルタゴを相手に戦った。最初はギリシアの後ろ盾という立場だったのが、次第にローマ対カルタゴの戦いとなり、3次にわたるポエニ戦争に発展していくわけです。結果はご存知のとおりローマ側の圧倒的な勝利に帰して、繁栄を誇った経済大国カルタゴ、海洋民族カルタゴは、地上から抹殺されてしまいました。

ポエニ戦争は、勇将ハンニバルの活躍で有名ですね。第2次の戦役でローマを衝くのに、海からではなく、アフリカ、スペイン、フランス、そしてアルプスを越えてローマに達するというハンニバルの作戦。しかも象をつれての行軍、戦闘。不意をつかれたローマは、一時、まさに風前の灯というところまで追いつめられてしまいました。ハンニバルがそのまま進軍を続けていれば、たぶんその後の歴史は変っていたことでしょう。しかし、ハンニバルは、まずローマの周辺部族を味方につけなければ、と考えた。ローマを攻めたとして、そのあとで背後から別の敵に襲われたらひとたまりもない。たしかにそうでしょう。が、この周辺部族の懐柔に、ハンニバルは時を空費してしまったんです。

その間、ローマは再起を図って軍備を整えます。そして、ハンニバルの留守を狙って、カルタゴ本国を攻め、最終的に第2次の戦いでローマは勝利します。

「陸」の民であったローマが、「海」の民カルタゴとの海戦を、どのように克服したのか。初期の戦いでは、ローマ人は、海戦ではとうていカルタゴにかなわなかった。いったいどうしてカルタゴ人はあんなに海に強いのか、と思ったことでしょう。

そこで、ローマ人たちは、徹底的に相手を研究し、自分に有利な戦いに持ち込む方法を必死で考えた。ある海戦で拿捕した最新鋭のカルタゴの船を仔細に調査し、そのうえで、カルタゴの船を上回るような船を建造した。さらに、相手の船をとらえて乗り移り、船上戦にしてしまえるような器具、コルヴスと呼ばれる「鉤竿」を考案した。船対船の海上戦では負けても、船上での白兵戦なら、お手の物ですから。

こうして、3次にわたったローマとカルタゴの戦いは、最後にはローマの筋書きに沿って、カルタゴは滅亡への道を歩まざるを得なくなりました。

 

さて、これまでお話ししてまいりましたカルタゴ以前にも、地中海を舞台として交易で栄えた民族がありました。時代はずっと遡り、ギリシア文明の起こる、さらに前、ミノア文明時代のクレタ人たちです。クレタ島はギリシア神話に語られる、怪物ミノタウロス、ミノス王の迷宮、アリアドネの糸の話の舞台です。

 

 

 

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