なんでオレたちが稼いだ金を分捕られなければならないのか、というわけです。じゃあ独立してしまえ、ということになり、カルタゴという国が生まれました。
その国土は極めて狭いもので、ほんとうにこんなちっぼけな国が、ローマを相手にポエニ戦争を第3次まで戦ったとは信じがたいような、それほど小さな国でした。
しかし、彼らは文字通り「海洋民族」だった。母国フェニキアの地、レバノンの地形が、彼らを海洋民族に仕立てたのだと私は思います。後ろには山が迫っていて、その土地は非常に限られている。耕地となるのはわずかな面積で農業には適さない。すると、目はどうしても海に向かざるを得ない。そんなふうにして、彼らは海へ乗りだしていったわけです。
独立したカルタゴは、地中海の東端に位置する本国チュロスよりも、もっと地の利を得ていました。わずかな距離にあるシチリア島をはさんで、対岸はイタリア半島です。西へ向いジブラルタル海峡を抜けていけば、ブリタニアまで達することができる。ブリタニアには銅や錫などの鉱物資源がありましたから、交易商品としてそうしたものを手に入れることができました。このようにして、航海技術と商才によって、彼らは地中海世界の通商大国、経済大国になっていったわけです。
通商がさかんになれば、それに見合う船団が必要になる。商品をたくさん積み込もうと、大型船が造られる。貴重な積み荷を満載した商船は、あちこちに出没する海賊の格好の的になります。そこで、今度はそれを護衛するための海軍が必要となってくる。海軍には、戦闘のための船が必要です。その結果の必然として、海軍力はどんどん強化される…。こうして、彼らは地中海を、まるで庭のように、活動をしていたわけです。
しかし、それを、ただ指をくわえて見ている民族はありません。当然、ライバルが登場する。なにより、おなじく海洋民族であったギリシア人たちです。ギリシア人の商才には、やはり他の民族は一目を置いておりました。「ギリシア人と握手したら、あとで指を数えろ」といわれたくらいですから。
互いに勢力を拡大していくうちに、カルタゴとギリシアとの最初の衝突がシチリア島で起こります。しかし、カルタゴが繁栄を誇り始めたころには、すでにギリシアの力が衰えつつあった時代で、ギリシア人は軍事に関して、新興のローマに力を頼まなければならなくなります。こうして、ローマの介入が始まりました。
ローマというのは、実は、海の民ではなく、陸の民だったんです。ことに歩兵軍団は圧倒的に強かった。