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2. 「世界海洋民族の海洋進出の歴史から何を学ぶか」

 

(1) 問題提起:森本哲郎

 

森本哲郎(問題提起者) ただいまご紹介いただきました森本でございます。

このような専門家のお集まりの席で、私のようなものが基調的な発言をするのは大変僭越ではありますが、これからの議論の糸口にでもなればと思っております。お手元にはレジュメが渡っているかと思いますが、私の申し上げたい主旨はそこに尽きております。そんなわけで、これからお話しすることは、その蛇足のようなものですが、皆さまの議論の糸口にでもなれば、と思います。

実は「海洋国家日本」というような言葉は、日本では戦前から言われておりました。私自身、小学校のころには「我は海の子白波の」という歌を歌わされましたし、その後は「軍艦マーチ」で育ちました。とくかく海洋国家ということで、太平洋戦争までずっと、そうやってきたわけです。その最後の象徴が戦艦大和だったと思いますが、結局、海軍国であったはずの日本は、第二次大戦で敗れ去ってしまった。その相手は、同じく海軍国であったアメリカでした。もっとも、そうした軍事的な意味合いについては、ここにご出席の江畑謙介さんが何よりも詳しくご存知で、私などが発言すべき余地はないと思います。

今日、私がお話ししたいのは、「海」というものの歴史的な意味について、古代から今日まで海がどれほど歴史にかかわってきたか、ということです。

実を言いますと、今までの歴史家たちは、どちらかというと「陸」を中心として、「海」のほうは、ほとんど無視してきたんですね。それに対して、むしろ「海」を中心にして、「陸」に展開されている歴史を「海」から眺めるという新しい歴史的な視点が必要ではないか、ということを指摘した人物がおりました。ドイツの政治学者、カール・シュミットです。

彼は『海と陸』という本を書いております。その中で、彼は、古来、世界史というものは常に海を中心にして展開されてきた、と論じました。もっとも、彼自身、その中でことわっているように、実はこうした海からの視点を唱えだしたのは彼が始めてではなく、中世のカバラ学者―ユダヤ教の神秘主義的な思想家、神秘的な解釈をする学者たちのことです―が、すでに中世の時代に、「世界史とは海と陸の戦いである」という見解をのべているんです。

 

 

 

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