ブレイクタイム
不謹慎もの
昨年の9月24日、牛深市に上陸した台風18号は熊本県内に多大の被害をもたらし、特に、職場から10キロ程の不知火町には高潮が押し寄せ、12人もの尊い犠牲者を出した。深夜からの暴風雨はアパート本体ごときしませ、妻と二人で懐中電灯を片手にバケツ、鍋、洗面器と足りないほどの雨漏りを体験させられた。裏山は倒木で一変、隣家の屋根は網の目、そこらじゅうが戦禍のような悲惨な有様であった。
しかし、不謹慎にも、その日から倒木探し。目当ては「ケヤキ」「銀杏」の80年以上の年代物である。まずは情報収集と地元役場の親友も動員し、数本の山道を走破するが小振りな物ばかりでなかなか見つからない。数日後、バイト先の女房から思わぬ報告。
何とご神木。取りあえず職場の先輩を巻き込んで現地の神社(健軍、甲佐と共に阿蘇神社の三摂社で、肥後の三の宮として重きをなしている由緒ある神社とのこと)に赴くと相当の被害である。恐る恐る居合わせた氏子らしき人に、「不謹慎ですが、切り跡の大木はどちらに…頂くわけには…」、ところが「あー、そん先の山に山積みしとるけん、来年の春にゃ燃やすけん、いんなら持っていってよかばい」と予期せぬ快諾を得た。さて、問題は相当な大物、1メートルで100キロはありそうな切り口である。早速、先輩と同僚に頼み込み、不届きにも無報酬の労働力提供を頂くことにした。
翌週から、退庁後の時間帯で作業開始、何と先輩は十数万円のチェーンソーを新調している。単身赴任ではあるが土日は兼業農家とあって準備がいい。感謝。
径60センチほどのケヤキ、銀杏、赤い木(名称不明)が、うなりを立てたチェーンソーに吸い込まれていく。神社には、丁重にお参りはしてあるが神罰が脳裏をかすめる。
さておき、動力切断三回、手鋸切断一回で計八本(1.7メートルで一本当たり約120キロ)を四日、四回に分けて無事製材所まで搬出することができた。
一寸五分にわく(分)と何れも素晴らしい木目である。残念にも、倒木とあって、5枚に4枚は裂け目があった。ともかく、丁重にお礼を言い持ち帰ろうとすると、工場の番頭らしき人が「あんた達どぎゃんして乾燥さすっとな、赤木(後日赤樫と判明)は水ん中に3年、揚げて2年置くばい」「ケヤキは最低5年できれば10年以上な」「銀杏は半年でよかけどな」と思わぬ助言。困った、アパート暮らしでは…とっさに、山分けした先輩にまたも懇願すると、「自宅の井戸でも投げ込むか」。
斯くして、銘木は定年まで眠りに就いて頂くこととなった。
名工ヘの奥深き世界、浅き匠の修行が続く。
(参考までに、広葉樹の乾燥方法を図示します。)