ところが、なかなか肝心の確認メールが来ない。待ちくたびれていた所へいきなり、「時間切れです。お申し込みいただいたご購入の契約は成立しませんでした。」のメッセージが画面に現れた。
あれあれ、と思いながら、気を取り直して再び同様の手続きで同じ席を予約しようとすると、既にその席は売却済になっている。何と言っても世界中を駆けめぐるインターネットのこと、今この時点でも非常に多くの人々がアクセスしているに違いない、うかうかしているとこのプログラムもすべて「売り切れ」になるのではないかとの強迫観念にかられ、急いですぐ隣の別座席を選択し、再度「予約、購入」をクリック。
待つこと数分、が、再び画面には「時間切れです…。」。
その後同じ事態を何度も繰り返し、やっと「ご購入有り難うこざいました、予約番号は以下の通りです。」のメッセージを受け取るまでに20回程ひたすらパソコンのキーボードをたたく手続きを繰り返す羽目になっていた。
「あのー」と言いながら先ほどの男性が戻ってきた。表情が冴えない。「あのー、どの“SATO”さんでしょうか。私には日本人の名前の区別がつかないものですから…。申し訳ないですが御自分で取り出して下さいませんか。」
彼が持ってきた箱をちらっと見ると“SATO”という名字が印刷されたチケットがかなりあるようである。季節は日本のゴールデンウィーク。かの国からはそれなりの数の「佐藤さん」がやってきてミュージカルを楽しもうとしているのだなと妙に感心し、チケットの名前を確認し始めて息が止まった。
何とすべての“SATO”さんのファーストネームは“NAOYUK”と印刷されていて、その数24枚。なるほど区別がつかない訳だ、劇場の一画をすべて私が買い占めている。
「すいません、この“SATO”さん、すべて私のようなんですが、いやもちろん私は2枚だけあれば十分な訳で…」
先方の男性もいったい何が起こったのか理解出来ない様子。日本でのパソコンとの悪戦苦闘ぶりを拙い英語で何とか説明した結果、「どうも妙な事が起こりましたね。事情はわかりましたのでお好きな2枚だけお取りいただき、後のチケットは当日売りに回しましょう。」と言ってくれた。
開演間近になっての当日券ではかなりの売れ残りが出るだろうと思ったが、公演が始まるまでには、私が買い占めた座席にはそれぞれ見知らぬ観客が何事も無かったように座っていた。
本人が全く自覚をしないまま、私が日本からキーボードで入力した情報は地球をぐるっと回って遥かロンドン・ウェストエンドの劇場のプリンターから大量のチケットとなって打ち出され、クレジットカード会社のコンピューターには24回分の購入となって記録が残り、やがて登録した銀行口座から引き落とされる。
インターネット王国の米国では近い将来小売りの25%がインターネットを通じて行われるようになるとも言われている。
24時間いつでも好きな時間に好きな場所で画面を見ながら商品の購入やサービスの提供を受けられたり、日本にいながらにして世界の出来事を即座に知り得たり、インターネットが我々に示す可能性は過去の様々なしがらみ、壁を軽々と乗り越えて行くように思える。
パラダイムシフトさえ感じさせるその魅力に圧倒される一方で、終演後に地下鉄の駅に向かう私の中にはネット内を徘徊する奇術師が演じる手際の良いトリックに引っかかったような不思議な感覚が残っていた。