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繭はほぼ1ヵ月で出荷となるために、最盛期には年5回の飼育をしていたが、現在は大半が春と秋の2回、熱心に取組んでいる農家でも4回である。昭和40年代までは、母屋の屋根裏や納屋に蚕室を設け、常に目が配れるよう人手をかけて飼育していたが、蚕糸試験場、蚕品種研究所等の研究機関で合理的な飼育方法の開発や蚕の品種改良が行われ、現在では屋外に蚕室を作り、省力的な飼育方法の普及から、計画的飼育、共同出荷を行っている。しかし、農協から養蚕部門がなくなりつつある現在、稚蚕飼育場や生糸会社も狭山丘陵周辺にはすでにない。

 

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図II-2-4 養蚕農家数の推移

 

2] 課題

現在は、生糸相場を基準にして国から出荷農家に補助金が出されている。しかし、それでも以前の生糸相場には到底及ばない。また、桑栽培は農薬が使えないため、住宅に挟まれるようにして立地する桑園では周辺住民から苦情が出たり、了解なしに農薬をかけられたり、また、都市計画による区画整理で蚕室を設けるスペースがなくなったりと、都市近郊であるが故に、さらに養蚕農家が減少する要因がある。

絹織物がさかんであった地域の歴史を考えると、狭山丘陵にとって、養蚕は重要なファクターである。最近では、日本の伝統産業であること、「かいこ」が生きものであることなどから幼稚園や小学校の社会科の教材としての問い合わせが増えている。養蚕を継続していくためには、経済性が確保されなければならないが、それには行政の支援と地域住民の理解が重要な鍵になると思われる。

 

 

 

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