・谷の水田は、丘陵から土砂が多く流れてくるので、放置しておくとすぐに埋まってしまう。早稲田大学の敷地として保全している砂川の上流の湧き水地帯は、どんどん谷が埋まってしまっているね。田んぼをつくっていたころは、毎年田んぼの土砂さらいをしたんです。決して自然は放置することがいいことではないですよ。蛙だって住めなくなってしまうし、蛙がいなくなれば、それエサにする野鳥も腹をすかせてしまいますよ。(所沢市三ヶ島地区)
(4)現在の丘陵周辺の農業
次に、現状の狭山丘陵に接した各市町の農業者の取組み、行政さらには地元の方々からの聞き取りをもとに、特徴としていくつかの事例を紹介する。
1] 近年の丘陵周辺農業の特徴的事例
a. 茶園と製茶業の発展
狭山茶として特産化した茶生産は、青葉の生産高は埼玉県内では入間市が1位であり所沢市が2位である。戦前から隆盛を誇っていたが、特に戦後には急激な発展をとげる。狭山丘陵の埼玉県側や瑞穂町さらにはその西方の青梅市付近には茶園がかなり目立つが、殊に、入間市の加治丘陵と狭山丘陵に挟まれた台地帯、具体的には八高線金子駅付近からその南方の台地帯には、茶園の発達が際立っている。この台地帯は戦前は桑園が多かった地帯である。ここに終戦間際に陸軍の飛行場計画がおこった。工事は実施されることなく終戦を迎え、米軍からの接収も逃れた。戦後この予定地をどのように農地として活用するかとなって、桑すなわち絹も決して見通しがよくないと判断されて、茶園として活用することになっていった。現在の県立入間高校は当時豊岡農業高校として戦後農業学のメッカとなるが、ここには茶業を学ぶ先進技術が配備されていくし、その後、埼玉県でも県立茶業試験場をさきにあげた新たな広大な茶園地帯のなかに開設していく。
また、近年では入間市の場合、市立博物館を開設したが、この館の中心は茶である。狭山に限らず、洋の東西を限らず、茶の歴史や文化や産業にスポットをあてた展示や事業を展開している。茶を入間市の産業の中心に、かつ市民のアイデンティティを茶に求めていることがわかる。
茶、殊に茶業を専業としている農業者は多いが、多くの場合、個人経営が多い。それぞれの農業者が自分の茶園または周辺茶園の茶葉を買い取り、自家工場で製茶し、自家店舗で販売するというものである。もっとも店売りだけでは、販路が限られているから、それぞれが独自に販路を開き販売している。不安定さはないかとある茶業農家に尋ねたことがあるが、手ごたえがあって、やる気がでるという。しかし、過日のようなダイオキシン報道などの時は、狭山茶すべてが影響を受け、厳しかったという。茶業の個人経営の傾向は、東京都側でも同じである。自分で販路を確立していく楽しさが茶業にはあると、瑞穂町できいたことがある。