d. 植物の採集や山菜やきのこ
樹木ばかりでなく、一丘陵には多様な植生がある。これらのいくつかは生活にあるいは趣味の世界に活用され、採集されてきた。しかし、特に趣味の採集は乱獲という言葉を使っても良い有様にも思えた。
・小正月のものづくり、アーボヘーボ(粟穂稗穂)をつくる材料のニワトコは丘陵に取りに行った。ニワトコはヤマの境界木として使った。(武蔵村山市三ツ木地区)
・エビネやジジババ(シュンラン)は多く生えていたが、みんな取られちゃった。どっちも品種改良や突然変異がよく出来るんで、趣味で育てている人が多いでしょ。もっとも根こそぎ持っていっちゃうのは、そういうことを商売にしている人たちですよ。もう10年いや20年もエビネやジジババはヤマに見ないね。最近ではキンランとかギンランとかも少なくなった。これはちょうど5月の連休の頃咲くんだ。だからほとんどハイキングに来た人が取って行くんだね。家では育ちはしないのに困ったものだ。それから最近じゃ苔、盆栽の根元に敷く苔、これは業者だろうね。ヤマから根こそぎ持っていっちゃう。(瑞穂町長岡地区)
・山菜だとかきのこだとかは、地元の人はほとんど採らないね。最初の頃は所沢に陸軍がいたでしょ。たぶん地方の出身者だろうが、その軍人さんがよくヤマに入って山菜だとかきのこ採ってたぐらいかな。多くなったのは昭和40年代になって住宅が増え始めてからだね。地方から人が移り住んでから、特に北の国出身の人は詳しいから、よくヤマに入って取ってくるね。地元の農家はそのころは畑が忙しいからヤマには入らない。山菜の時期は種まきだし、きのこの時期は収穫が忙しいからね。(所沢市林地区)
・ヤマのうどを抜いてきて、畑でつくった人がかつてはいたと聞く。それが、東京うどの始まりかね。ヤマにうどが生えてると、秋にヤマの葉が色ずく頃行って、うどの株元に土を盛り土してやる。そうすると、春先に白い茎が長く伸びて、香りがあって、柔らかくて、えぐみが少なくてよかった。(所沢市山口地区)
e. 茶畑や桑畑や梅畑として利用された丘陵
狭山丘陵は、樹林地としてのみ存在してきたのではない。かつては、農地としての利用もあった。ことに、茶・梅・桑などは、樹林が降霜をさけてくれることから、これらの生産が振興するにつれ、生産地に変化した場所も多い。
・今は少なくなったが、丘陵の北側斜面や谷が入り込んでいるところには、お茶や桑や梅が植えられていた。木があり日陰は芽吹きや結実が遅いから遅霜の被害に会いにくいし木の枝が霜を除けてくれる。(瑞穂町元狭山地区)
・お茶はヤマの北側や斜面にも植えたが、丘陵の裾の畑の畦にも植えたし、今も植えている。風除けばかりではなく、斜面だから土が流れるのをさけることが出来る。(入間市宮寺地区)