息子が、農業を継ぐようになってからは、施設園芸としてハウスで花卉栽培が主体になっている。パンジーやベコニアを中心に栽培し、小平の市場に出荷している。また、息子は畑でブルーベリーを育てて苗木も販売するが、観光農園としてつみ取りもさせている。自分はまだ現役で、さつま芋の他に栗も栽培しており、栗は秋に栗拾いの観光農園をしている。
農業は時代をみて、何が求められるかをしれば、やりがいのある仕事であると、感じ取れる専業農業者の姿を見たような気がした。
2] 丘陵と農業や暮らしとの関わり
a. 堆肥としての落ち葉の確保
狭山丘陵の南麓と北麓いずれでも数多く聞き取ることができたのが、落ち葉を掃き堆肥として活用してきた話である。また、現在でも落ち葉を堆肥にすることについては、その確保が順調にいけば活用をしてみたいという農業者も多かった。
・林新田にもヤマ(平地林)はあったが、より畑づくりがしたくて、堆肥を多く確保するため、村内のヤマだけでは足らないので、丘陵にヤマ掃き(落ち葉掃き・クズ掃きともいう)に行った。戦後、都の水道局が管理する多摩湖湖畔のヤマハキが許され村にも割り当てがあって行くようになった。1反いくらかの金を払って掃いた。昭和30年代まで掃いていたが、だんだん牛糞だとかの家畜糞が多く手に入れられるようになって、ヤマ掃きにいかなくなった。(所沢市林地区)
・ロッポンというヤマ掃き専用の竹カゴを使った。普通のハチホンだとぎっしりカゴ詰めすると重いから丘陵から落ち葉を背負って降りてくるのはきつい。ロッポンは少し小いさいからそれほど重くならない。平らなところまできたら荷車にカゴごと乗せて運んだ。昭和30年代まで、東京都の水道局に頼んで掃かせてもらった。(所沢市三ヶ島地区)
・ヤマの落ち葉は毎年掃くが、たまには掃かない年もあった。平地のヤマは平らだからいいが、斜面だと肥料分のある土が流れやすい。だから、木の育ち方や土の流れ方を見て、あまり育ちが良くないとヤマ掃きを休んで落ち葉を木や土に返してやった。(瑞穂町元狭山地区)
・最近では、埼玉県の公園の落ち葉を掃いている人を見かける。家庭菜園ブームで、家庭菜園をやっている人が丘陵の公園内でヤマ掃きしている。ヤマが下草で荒れるに任せておくのは忍びない。あれはいいことだ。わざわざ丘陵でヤマ掃くのは大変だが、落ち葉をもらえたり、ヤマ掃くのを手伝ってくれる人がいれば公園のヤマ掃きをやってもいいね。(入間市宮寺地区)
・今でも東京都水道局が多摩湖の周りの山林を冬場に開放してくれてヤマ掃きをしている。多摩湖の周りの水道局用地でも最近はビニールゴミが多いから、どうしても良さそうなところだけを選んで掃いてしまう。現在では入場のため金銭のやりとりはないが、戦後は1反130円払った。はじめは、下草がひどくバヤカリ(下草刈り)が大変だった。(東大和市芋久保地区)