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この北麓の集落の北には畑が広がっている。この畑を1kmから2km行くと、深い雑木林が広がる。そして、さらにその雑木林を越えると、短冊状に区割りされた武蔵野の典型的な畑作新田集落が広がる。

丘陵北麓の村々の周辺に広がる畑の作物の様子は、地図からでは十分には理解できないが、この明治の迅速図には畑作の中に桑園と茶園を記号で示す。明治の近代国家の主要な輸出産物である絹とお茶は地図上でも区別されている。このことから、所沢村や上新井村、北野村、宮寺村周辺の畑にはおよそ3分の1の規模で、桑が植えられていたことが読みとれる。現在はこの付近は茶園が多いが、地図からでは茶園は決して多くはない。しかし、すでにこのころから茶は所沢村や宮寺村の農産物の主要な位置を示していることは記録資料から知ることができる。茶は畑すなわち現在のような茶園が面としての作付けはなく、畦畔を中心とした茶栽培であったものと理解できる。

水田の形成は、狭山丘陵を開析する谷に見ることができるが、いずれも小規模な谷田に過ぎない。丘陵から湧き出る湧水が利用されたものであるが、水量の少なさから、大規模な水田経営はなされていない。そうした状況にあっても、三ヶ島村の南側の砂川の水源付近や北野村の南側の東川の上流部付近には水田を比較的多く見出せる。また、現在の狭山湖(山口貯水池)からは、柳瀬川が流れ出て比較的大きな谷を形成しているかつてこの谷には、勝楽寺村(現在狭山湖湖底)・上山口村(現狭山湖に西側は沈む)が存在し、さらに谷の下流(東側)には山口村・荒幡村(現所沢市)があるが、この柳瀬川上流の谷の耕地はほとんどが水田であった。

丘陵の様子についても、明治陸軍迅速図から知ることができる。北麓からみた狭山丘陵は、ナラやクヌギを主体とした雑木林(迅速図では雑樹林と明記される)とアカマツを主体とした松林に分けられる迅速図には杉林や檜林は見いだせない。松林は現在の区画整理された椿峰や三ヶ島の早稲田大学付近に広く分布がある。また、丘陵裾部付近にはヤマ(雑木林)を開墾したように桑畑を所々に見ることができる。

現在は、所沢市の市街地が広がり、青梅に向かう街道にも市街化は伸びてきている。そのため、かつての小さな集落は飲み込まれ、広々とした畑の中に寄り添うようしていた集落の姿は知るよしもなくなっている。広い畑は所沢市北野の北西方向から入間市宮寺付近まで行かないと見ることはできない。また、あれほども広がりをもっていた桑畑はほとんど見出せず、畑の半分近くが茶畑に変わっている。また、狭山湖(山口貯水池)の堤防の下方も住宅開発が激しく進行している。

 

 

 

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