・武蔵村山市の農業環境の現況
武蔵村山市は昭和45年11月(面積1,537ha)に市制を施行した。その年の12月の国勢調査人口は41,275人で、5年前に比べると3倍に急増している。ちなみに各年4月1日付けのデータを見ると次のようになる。昭和40年が13,610人であり、昭和41年22,930人、昭和42年27,662人、昭和43年32,643人、昭和44年35,201人である。平成11年4月1日現在66,061人であるから、当時の急増に比べれば緩やかな増加とはいえるが、やはり都市化の様相は否めない。
こうした都市化の中で、農地や農業者の減少も前述した2市と同様に激しい。農地・農家戸数の変遷をみると、市制施行した昭和45年時点でも人口急増のさかんな時代であり人口急増以前の農地の広がりからすればかなり減少しているが、現在に比べれば農地や農家戸数はまだ多く、農業が生き生きとしていたに違いない。昭和45年には農地は52,118a(約521ha)、農家戸数は907戸であった。平成7年の農業センサスによれば、農地は23.179a(231ha)、農家戸数は436戸となり、四半世紀に農地・農家とも半減していることがわかる。
地域のうち市街化区域は1,171haで、調整区域はその残り366haになる市街化調整区域は、市の西部に一部かかる横田基地に隣接した中原地区・残堀地区と市域の北端の狭山丘陵部全域が指定されている。狭山丘陵部分の市街化調整区域は、「狭山近郊緑地」や「都立狭山丘陵自然公園」、「野山北・六道山公園」等になっており自然の保全が図られる地域となっている。市街化調整区域内の農地は、先に示した中原地区と残堀地区に約60ha強ある。平成7年度のデーターによれば23,179a(約232ha)の農地のうち、約60haが市街化調整区域の農地であるに過ぎず、他は市街化区域内に農地が散在することになる。
武蔵村山市では、こうした状況の中、農業経営の安定をはるため、市街化地域内の生産緑地農地や市街化調整区域内の優良集団農地について、計画的な保全や後継者の育成、生産技術の向上を目的として、近代化支援・経営の合理化を支援するために農業近代化融資制度などの充実を図っている。
・瑞穂町の農業環境の現況
瑞穂町は昭和15年に箱根ヶ崎村・石畑村・殿ヶ谷村・長岡村が合併して町制を施行した町で、青梅街道や国道16号(かつての日光街道・江戸・明治期は絹の道でもある)、飯能を通り抜け秩父へ通じる秩父街道などが分岐・交差する地域として古い歴史をもち、かつては賑わいがあった。その後昭和33年に隣接する埼玉県元狭山村を合併し町域を現在と同じくする。町域面積は1,683haあるが、そのうち532haは米軍に戦後接収された横田基地である。横田基地は南西部に位置し、また、その反対の北東域に狭山丘陵がせり出している。町の中心部すなわち旧市街地に通じるには、基地や狭山丘陵が存在することによって、限定されたルートしかなく、やや不便さもなくはない。しかし、青梅街道のバイパスとしての新青梅街道ができたことなどにより、狭山丘陵の周辺の市町の中では古い街道の町の面影が番よく残る。農地もまた、開発の影響を受けず広く残るところが多く、これからの農業にも期待がもてる。