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2)狭山丘陵の遺跡―地域資源としての埋蔵文化財―

 

(1)狭山丘陵の地形と地質

1] 丘陵地形と河川(図I-3-1)

武蔵野台地は、北西を入間川、北東を荒川、南を多摩川によって限られ、西端の関東山地山麓から東端の山の手台地までの東西約50kmの長さをもつ台地である。台地の標高は、西端の青梅で約180m、立川で約90m、新宿で約40mと東へ向かって低下し、山の手台地の東縁部では20〜40mほどとなる。一方、青梅から北東へむかっては、所沢で約80m、川越で約20mと、やはり高さを低くさせている。このような標高のあり方から、武蔵野台地は、青梅を扇頂とする旧多摩川の扇状地だということがわかる。

また、武蔵野台地は、青梅を中心とする扇状地形の等高線に対し直交する方向で、段丘崖を境として新旧を異にするいくつかの段丘面から成り立っている。そして、これらの段丘は、高い段丘のほうが低い段丘よりも古く、さらに各段丘面を構成する旧河床礫層や関東ローム層の厚さの差から、古い順から多摩面(頭文字をとった略語でT面)、下末吉面(S面)、武蔵野面(M面)、立川面(Tc面)の四つに分類することができる。

こうした段丘面のうち、多摩面に属する丘陵が存在する。丘陵とは、台地のように平坦な表面はないけれども、山地と呼ぶには起伏が小さい地形のことをいい、武蔵野台地周辺には、加治丘陵、加住丘陵、草花丘陵、多摩丘陵にくわえ、台地のなかに島のように孤立した狭山丘陵が存在する。もともとこれらの丘陵は、古多摩川などが運搬した砂礫層などの洪積層が基盤をなす地層にほぼ水平にのっており、堆積当時は武蔵野台地と同様に、扇状地を形成しており、同じ段丘地形に属していた。しかし、武蔵野台地などよりもかなり古い段階で形成されたために、より長い間、地形の大部分が浸食作用をうける結果となり、現在のように谷が発達し、平坦面のない丘陵地形が形成された。とくに狭山丘陵は、まわりをきれいに浸食されたため、ほかの丘陵から孤立した丘陵としてとり残される結果となった。このようにして形成された狭山丘陵は、東西約10km、南北約4kmの紡錘形を呈し、埼玉県入間市、所沢市、東京都瑞穂町、武蔵村山市、東大和市、東村山市の5市1町にまたがっている。丘陵には、緩やかな波状の起伏があるが、前述の形成過程から、その稜線を遠望すると平坦に見える。もっとも、丘陵全体が同じ高度ではなく、丘陵西部から東にむかって緩やかに高度を下げている。すなわち瑞穂町の六道山の海抜194mを最高地点とし、武蔵村山市の野山北公園で約150〜160m、所沢市の椿峰で約110〜120m、東大和市の八幡神社付近で約120m、そして東村山市の八国山で約90mである。

また、丘陵内は、湧水によりいくつもの舌状地形に開析され、これらの湧水の流れが集まって狭山丘陵を大きく開析する河川となり、東方から東北東方向に流れている。

 

 

 

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