3. 株式会社黒壁(滋賀県長浜市)
−大資本との差別化戦略で地域資源を創出し、商店街と地域を活性化−
(1) 地域の概況
長浜市は、滋賀県北東部に位置し、豊臣秀吉が天正3(1575)年に長浜城を築城したことからはじまる。琵琶湖畔に面し海運に恵まれ、北陸、中部、近畿を結ぶ交通の要衝であったことに加え、秀吉が現在の旧市内に楽市楽座(いわゆる無税のまち)を許可したことから商人のまちとして発展した。浜ちりめん、蚊帳などの伝統産業や特産品づくりは秀吉時代から続いている。
明治期に入ると鉄道誘致などが積極的に行われ、全国に先駆けて近代化が進められ、その一つとして黒壁銀行が設立された。
人 口:57,082人(人口増減率(95/90):2.9%、高齢者比率:11.1%)
面 積:45.46km2(可住地面積38.54km2)
就業構造:第1次3.8%、第2次45.2%、第3次50.8%
資料:国勢調査(90・95年)、全国都道府県市区町村面積調(97年)
(2) 株式会社黒壁(第3セクター)設立の背景と経緯
広域行政区の湖北広域(1市12町)は商圏人口約20万人を擁し、長浜市はその中心として県下一の商店街が形成されていたが、昭和40年代後半から郊外に大規模小売店舗が相次いで進出し、昭和50年代に入ると長浜市の中心市街地及び商店街の空洞化、まちの活力の低下が問題となっていた。
昭和62年には空洞化したまちの中心部にあった黒壁の建物(旧第百三十銀行)が売りに出された。黒壁は銀行としての役割を終えた後もカトリック教会として使用されるなど地元住民に永く親しまれてきた地域のシンボルとして、地元青年会議所を中心に市民からの保存運動が起こった。昭和63年には市民有志と地元の有力企業、行政の共同出資(民間7割、市3割)による第三セクター方式で「株式会社黒壁」が設立され、長浜再生の鍵をガラス事業として、黒壁銀行をこの事業の中心とした。