3] 地区の女性・高齢者の活躍
地区の主婦や高齢者の智恵と創意工夫を活かせる場の提供により、ソフト事業(接客、調理、企画開発)の充実が可能となり、かつ挑戦、能力発揮および生きがいを生む結果となっている。一方、女性・高齢者の大半を臨時職員としての雇用していることもあり、固定費として収益を圧迫する人件費が抑えられるという点も経営上の工夫として評価できる。
(2) 株式会社黒壁(滋賀県長浜市)
ア 長浜市の位置および慨況
長浜市は、滋賀県東部の琵琶湖畔に面した人口57,082人(1995年)の町である。
長浜市は、豊臣秀吉が天正3(1575)年に長浜城を築城したことからはじまる。北陸、中部、近畿を結ぶ交通の要衝として琵琶湖海運が盛んであったことに加え、秀吉が現在の旧市内に楽市楽座(いわゆる無税のまち)を許可したことから商人のまちとして発展した。浜ちりめん、蚊帳などの伝統産業や特産品づくりは秀吉時代から続いている。
明治期に入ると鉄道誘致などが積極的に行われ、全国に先駆けて近代化が進められた。その一つとして地方銀行(黒壁の建物の発祥)も設立されている。
イ 株式会社黒壁(第3セクター)設立経緯
広域行政区の湖北広域(1市12町)は商圏人口約20万人を擁し、長浜市はその中心として県下一の商店街が形成されていたが、昭和40年代後半から郊外に大規模小売店舗が相次いで進出し、昭和50年代に入ると長浜市の中心市街地及び商店街の空洞化、まちの活力の低下が問題となっていた。
昭和62年には空洞化したまちの中心部にあった黒壁の建物(旧第百三十銀行)が売りに出された。黒壁の建物は、銀行としての役割を終えた後もカトリック教会として使用され、地元住民に永く親しまれてきた地域のシンボルとして、地元青年会議所を中心に市民からの保存運動が起こった。
昭和63年には市民有志と地元の有力企業、行政の共同出資(民間7割、市3割)による第三セクター方式で株式会社が設立され、長浜再生の鍵をガラス事業に託し、黒壁が発足した。