(2) 沿革
3町のうち、百石町と下田町は、明治の初期には1つの村であり、百石村から下田村が分離して現下田町の母体ができたという歴史的経緯がある。この旧百石村には、現三沢市(分離当時は三沢村)も含まれていた。
百石町の北部から三沢市に至る海岸沿いには、一川目〜六川目(うち二川目までが百石町の区域)という漁村集落が形成され、地引き網漁が行われているが、とくに地引き網漁が盛んに行われていた頃は、内陸部の六戸町や下田町からも、この地引き網の引き子が来ており、沿岸部と内陸部との広域的な地域連携があった。