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(6) 大正7年、「市町村義務教育費国庫負担法」の制定

小学校教育に要する経費を市町村に負担させることは、明治以来の不変の原則となっていたが、大正7年「市町村義務教育費国庫負担法」が制定されて以来、国が積極的に小学校教育費の一部を負担し、年とともにその支出金額を増加してきたことは、小学校教育、特に義務教育に対する国の任務に関して、新しい考え方がでてきたものとみることができる。すなわち、小学校教育費について、国と地方の共同責任・共同負担という観念が導入された(国庫負担の観念が生まれた)訳である。

この考え方の背景には、明治40年、小学校令の改正によって、義務教育年限が延長され、義務教育の6年制が実施されたが、そのため市町村の教育費が非常に増加し市町村とりわけ町村がその負担に苦しんでおり、その軽減が急務であったことがあげられる。

この法律案が提出された議会(第40議会)の記録によれば、この負担金の使命について、主として市町村財政の負担軽減にあるという主張と、もっぱら教員の優遇、教育の改善等に主眼を置くべきであるという主張とが、強く相対立していたということは興味深い。

(7) 昭和15年、「義務教育費国庫負担法」の制定

昭和15年度において地方財政制度は全面的に改正され、これに伴い従来の市町村義務教育費国庫負担法も法律第22号「義務教育費国庫負担法」として、その内容にも画期的な大改正が加えられた。

すなわち、この年度において、中央、地方を通ずる税制の改正が行われ、同時に地方財政調整制度が採用された。地方財政調整制度は、従来の臨時地方財政補給金を組織的に制度化したものであり、これによって従来とかく不明確であった国と地方との負担区分が改められた。義務教育費国庫負担制度の改正もその際大きな問題としてとりあげられた。

この昭和15年度における義務教育費国庫負担制度改正の目的は、第一は、義務教育費のうち教員の俸給費の負担を従来の市町村から道府県に移したことであり、第二は、従来定額であった国庫の負担を道府県の実支弁額の1/2の定率負担に改めたことである。その理由とするところは、財政力に甚だしい格差のある市町村に対する国からの財政的な補給によるよりも、むしろ地域的に広くかつ財政力の強い道府県において義務教育費を負担しその道府県の支出額の一定割合を国が負担するという形式をとる方が、市町村の財政上の重圧を除きかつ給与水準の全国的な適正化ひいては教育の機会均等の確保に資すると考えられたからである。

 

 

 

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