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すなわち、学務委員は、町村人民が定員の2倍もしくは3倍を「推挙」し、府知事、県令がその中から選任することに改められた。また、町村立学校の教員の任免は、学務委員の申請により府知事、県令が行うこととされ、その俸給額は、府知事、県令が定めて文部卿の認可を受けることとされた。

しかし、このように国の統制を強化した改正教育令において、国の補助金に関する条文は逆に削除され、経費の負担は市町村とされた。(これは当時の国の財政事情によるもので、実際にこの修正に基づき小学校への国庫補助金は明治14年6月限りで廃止されている。)

(4) 明治19年、教育令の廃止、学校令を公布

このうち、小学校令においては、尋常小学校(4年)を義務制とすることを明確に規定し、初めて就学の義務を明らかにした(義務教育制度の発足)。なお、小学校は、尋常小学校4年、高等小学校4年、併せて8年の学校であり、この点は学制以来変わっていない。

(5) 明治33年、「市町村立小学校教育費国庫補助法」の制定

この法律は、それ以前明治29年に制定された「市町村立小学校教員年功加俸国庫補助法」と明治32年に制定された「小学校教育費国庫補助法」との二つの法律を統一したものである。この二つの法律はいずれも小学校教員費に対する国の補助を規定したものである。その内容は、市町村立小学校教員の年功加俸(勤継年数による加給)及び市町村立尋常小学校教員の特別加俸(多級学級を受け持つ場合、交通不便な地域に在勤する場合の加給)であって、明治40年勅令第217号で、市町村立小学校教育費国庫補助法によって国から市町村へ配布する補助金と同額を、道府県からも市町村に対し交付しなければならないと定め、補助金の半額は、市町村立小学校の本科正教員の数に、他の半額は、市町村立小学校の本科正教員にして5年以上同一府県内に勤務する者の数に比例して府県に配布することとされた。

これらの法律は、いずれも教員の待遇改善を目的とするものであったが、すでに一部の市町村においては、教育費の財政に与える負担がようやく過重になってきたことが、その制定の理由の一半としてあげられている。

 

 

 

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