昭和60年に明治精糖工場跡地(3.3ha)に特定街区が決定され(かわさきテクノピア第1号特定街区)、同時に駅前広場の拡張・幹線道路の新設も着手されて、西口も再開発の第1歩を踏み出した。同特定街区(住宅・都市基盤整備公団と興和不動産(株)が事業の中心)の土地利用については、80年当初の構想段階では、西口エリアにはほとんど業務・商業系の有効需要はないと考えられたことから、集合住宅の建設が想定されていたが、オフィス需要の高まりなどを受け、その後に業務系利用を主としたものに変更された。
表2 西口再開発の経過
このような工場用地の土地利用転換による市街地整備は今後とも西口整備の主要な目標であると考えられる一方で、密集住宅地の再開発・整備も一つの大きな課題であるとして考えられたことから、第1特定街区が都市計画決定された85年に、川崎市は西口地区の住宅系市街地再開発の調査を開始した。
図8 川崎駅西口の駅前広場の様子
実際、同エリアは川崎駅西口に面しながら、市営・県公社住都公団等の老朽化した公的住宅団地が多数存在し、JR東日本、国鉄清算事業団、東芝等の所有する大規模敷地と併せると、地区の過半をしめる状況にあった。さらに、その他の部分には、狭小宅地等が多数存在する状況にあり、基盤整備や土地の有効利用の上で大きな課題を抱えていた。
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