こうした方向性を踏まえ、市街地再開発と都心の活性化と組み合わせた形で、SOHO事業の推進、再開発地区における情報産業関連事業の誘致などが行われているほか、東京と横浜に流出している消費支出を呼び戻すための商業施設整備は、市街地再開発事業の最重要課題であり、中心市街地活性法に基づく基本計画を策定し、TMO構想の策定に着手しているところである。
2 川崎駅周辺におけるこれまでの取り組み概要
JR川崎駅の東口側が、臨海部への玄関口として、戦災復興区画整理事業により道路等の基盤整備ができていたこと、行政施設や旧来からの商店街があったことなどから、再整備の最も必要かつ有効な地区として認識されてきたのに対して、西口側の再開発は道路・駅前広場等の基盤が不十分で、駅の直前が工場と住宅密集地であるという課題を抱えていた。
実際、川崎駅周辺の再開発の歴史自体が、東口を中心として進められてきており、81年には東口駅広場に地下街「アゼリア」が着工され、5年後の86年に完成されたほか、駅前の大日日本電線工場(5.2ha、現・三菱電線工業)の再開発構想が三菱グループから発表されたのが70年であり、80年に着工され、8年後に全体が完成し、駅ビルの増改築と東西自由通路(都市計画歩専道)の建設により、「川崎は変わった」という評価を得るところまでたどり着いたといえる。
このように東口側と比較した場合、西口側の再開発が遅れ気味であり、既存の大規模工場の用途転換や密集市街地住宅の建替・高度利用による再開発が必要であると考えられたため、川崎駅西口地区を「2010プラン」及び国の首都圏整備計画において、川崎駅東口地区とともに川崎の都心として整備すべき地区に位置づけるとともに、昭和59年に都市計画決定された都市開発方針では、川崎駅周辺2号地区(72ha)を西口側に広く指定し、積極的な開発を推進してきた。表2は、こうした取り組みの経過をまとめたものである。