そのアメリカ諸都市においては、都市への急激な人口集中とこれに伴う大都市インナーエリアでの都市問題の顕在化への対処として、ミドルクラスが郊外に新たなコミュニティを作るかたちで転出し、都心部がますます衰退するという現象が起きた。このような、ペリーの近隣住区論(1929年)に代表される「美しく住みやすい」郊外の住宅地開発に都市計画の多くの関心が集まっていた時代に、ジェーン・ジェイコブス(1961年)は都市の郊外化に強い批判を展開した。
ジェイコブスは、都市生活の利点は、人口や機能が複合的に、かつ高密度に集積することにより創出される「多様性」にあるとし、既存のストックを生かしたまちなかの充実の重要性を説いた。その後、都市の既成市街地を再生する取組みはさまざまなかたちで展開されてきたが、言うまでもなくその中心は、安全で安心できるまちづくりの中で、アフォーダブル住宅を供給していくための努力であった。
このことを、上で触れた「都市構造論」とからめて取組んでいる先駆的な例として、シアトル市のアーバン・ビレッジ戦略が挙げられるであろう。これは、シアトル市総合計画(1994年)(4)で採用された成長管理型の都市構造論であり、アーバン・センター・ビレッジ、ハブ・アーバン・ビレッジ等の機能複合型の拠点を市民の生活圏の段階的な広がりに対応させて計画配置するものである。各々について将来計画人口、計画雇用創出人口等を設定するとともに、各アーバン・ビレッジを公共交通機関で有機的に結ぶこととしている(図-3)