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5.7.2 データ、基準、属性

 

前節は、たっぷりと利用可能なデータの「よくある不完全さ」や「まぎれもない不適切さ」の状態に言及し自由に辛口の論評をしてきた。ここでは長々と繰り返す必要はない。きわめて明瞭なのは、データの利用は、「結果」を定議する方法に従ってはっきりと異なるということである。改革にまつわる‘話’の記録は膨大なものであり、分析者の問題は主として多すぎる情報を処理することである。改革にまつわる決定の記録も多数ある―10ヶ国の主要な改革法のタイトルリストでさえ、何頁にもわたる。改革の‘活動と業績’に関わる状況はさらに複雑である。投入、支出節減、過程の改善および出力に関して利用できる情報は膨大である。多くの国々における多くの公共部門組織において、作業過程が強化されたことは疑いも無い。すなわち、出力測定の増加が、1ポンド当たりの支出、1職種当たりの雇用数などの指標を生み出している。この情報のすべてが完全に信頼できるものではないかもしれないが、何も変化していないこと、特定組織の生産性が不変のままだという結論に達するには、大量のシニシズムを投与する必要があろう。

 

情報が内容のないものになる場合は、次の二つの段階がある。まず、これまでの活動からみると、多くの生産性改善の測定費用、公共部門労働者の間の忠誠度もしくは関与の減少、公衆による信頼性の喪失(もしくは増加)などである。大半の事例では、この点についての答えはほとんどない。これらの目に見えない費用は、非常に高いかもしれないし、非常に低いかもしれないし、また詳細さを欠く生産性の統計が捕捉し切れない埋もれた利益もあるかもしれない。

 

しかしながら、さらに重要なのは、最終段階として考えてもよい情報―改革にまつわる言説、意思決定、大部分の社会における活動、これらのすべての最終的結果―は、数が少なくかつ曖昧だということである。これは、ひとつにはたいていの政府が非常に熱心にこの手の情報を求めてきたようにはみえないからであり、ふたつにはこうした情報は収集するのに困難で費用がかかること、さらに解釈が難しいからである。

 

したがって、実績志向のマネジメント改革を好む国際的な動きの中心には、逆説めいたものがある。改革の実行者は、公共部門組織は、改革の結果に積極的に焦点を当てるために、みずからを新しい環境に適応させかつ編成しなければならないと主張する。彼らは、費用を計算し、出力を測定し、結果を評価し、フィードバックと継続的な改善という体系的過程におけるこの情報のすべてを利用しなければならない。だが、この哲学は明らかに多くの改革に適応されてこなかった―それゆえ、改革は、比較的滅多に評価されてこなかったし、また通常いくつか重大な方法論的限界を持っている方法で評価されてきた(PoIlitt, 1995; 1998c)。

 

最後に、情報それ自体は、なんらかの基準と組み合わされるまでは意味を持たないとみられている。もし成功の基準が平均2%の増加であれば、5%の増加は好結果であるが、もしその平均が8%であるならば、悪い結果になる。ゴミの収集の外部委託は、もし適用される基準が収集されるゴミ1袋当たりの費用であれば、成功と考えられるかもしれないが、もし基準が雇用の機会均等を推進することであるならば、問題があると考えられるかもしれない。

 

 

 

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