特定の見解に対して最も有力な広報官でさえ、妥協や忍耐を強いられる。サッチャー女史は、イギリスの公共支出の水準を、彼女が1979年に見出した水準よりわずかに異なる水準にしたに過ぎない。レーガン大統領は巨額な公共部門の赤字を残したし、連邦政府公務員は、彼が大統領職にあった8年間、その規模を少しも変えなかった。1982年のオランダ新政権や1991年のスウェーデンの新政権における熱狂的な民営化論者は、自分立ち最初に予想した各公共部門の多くをほとんど民間所有へ移転することができないことに気づいた。第3章で展開した(第7章で詳述されるが)理由のために、ビジョンの純粋さは、必ずといってよいほど、政治的、経済的および機能的制約やトレードオフを理解することで和らげられる。したがって、特定のビジョンの唱道者であり、そのビジョンから「結果」を評価する人でさえも、伝統や惰性、頑固者の力の強さを見込んでおかなくてはならない。言説と決意、そして活動は別物であることが多い。我々の議論は、これらの力の強さが、問題となっている政治行政体制の性質や、提案された新しいビジョンが矛盾し、少し一致する程度に大きく左右される。
5.7 結論:われわれには何がわかったのか?何が言えるのか?
5.7.1 結果についての様々な展望:なにかを探していれば、なにかが見える
第5章は長かったので、結論は簡単に述べたい。第一に(節5.1および5.2では)、「結果」は、様々な場所において、様々なレベルで、様々な方法によって求められるかもしれない。何人かの評論家にとっては、最も重要な証拠は、「変化した空気」、すなわち民営化や市場化、参加、規制緩和および柔軟性についてのビジョンの新しい「言説」や公表の中にある。要するに、決定的な証拠は、議論を行なう新しいコミュニティーの成長にある。その主要な生産センターは「アングロ・サクソン」諸国と、PUMA/OECD、IMF、イギリス連邦事務局、それに世界銀行などの国際組織である。別の評論家にとっては、最大の関心事は、決定の記録―白書や国勢概観などの出版物、「市民憲章」や「公共サービス2000」のようなプログラムの公表物、行政改革を命じる法律の可決―である。しかしながら、また別の評論家は、活動や影響などの形で動かしがたい証拠を求める。これは、それ自体、大きな分野で、その中にはマクロレベルの影響やローカルな影響、具体的な出力や長期の結果などを求める人もいる。改革の成就についての判断は、こうした様々なタイプの証拠のどれが最重視されるかによって相当に変化しそうである。
次に、見る場所は座る場所よって影響を受ける。三つの最も顕著な座席は、マネジメント改革についてむしろ異なる「振動」を生み出す傾向がある。国家機構はそれ自体、そして特に省庁の政治的長は、堅調な進捗―全てが手の内にあり、残っている問題にも対応可能である―を報告する傾向がある(たとえば、Chancellor of the Duchy of Lancaster, 1997;: Commonwealth Secretariat, 1993; Gore,1997)。マネジメント・コンサルタントは、未来や、または現代認識された諸問題を解決するための新技術やシステムの潜在能力に多くの焦点を当てる傾向がある。コンサルタントは、警鐘を鳴らすが、それらはたいてい、進歩そのものの性質についてより、むしろ進歩を抑制するかもしれない制約についてである。これは、革新的な考え方や技術を売る能力に部分的に依存しているグループが存在していると考えられるかもしれない。