・‘参加型国家’:これは、市民が「みずから」管理を行なう際の権限の付与と参加に力点を置いている。また、市場化モデルと同じく、急進的な分権化と官僚制のヒエラルヒーからの脱却を目論んでいる。これは、市場化モデルとは違い、競争的市場、市民の能力への信頼、みずからの統治においてより創造的な役割を果たそうとする意思という軋轢の生じる不公平な特徴についての疑念である。これは、結果的に、第4章の「近代化」のオメガの変異種である。
・‘柔軟な政府’:これは、組織構造の永続性と、高度に安定した経歴を持つ終身在職権を有する個々人に起因する硬直性と保守主義に異を唱えるものである。この改善策は、調整可能かつ再調整可能な、可変的な小組織と、それぞれ最新の、しかしすぐに変化する環境においてもっとも主要な問題に対応するために目的別に造られた組織を持つ「暫定的国家」である。先端情報技術は、しばしば、この新しい国家の仕事の主要な推進力と見なされる。この新国家は、市場化モデルや参加型国家のビジョンよりも「教条主義的」傾向や「理想主義的」傾向が少ない(Bellamy and Taylor, 1998; Hudson, 1998)。これは、第4章の「市場化」ビジョンの一つの変異型であり、ここでは、国家組織は、国有か国営のままであっても、急速に変化する実業の世界と似たものになる。暫定的国家は、広範にわたり契約に基づく特異事例であろう。
・‘規制緩和政府’:このビジョンは、―公共サービスとその組織が官僚の規制という重い制約から解き放たれることができるならば―公共サービスとその組織が創造的な着想とこれに関連する経験およびよく動機づけられた人々を豊富に持っているという仮定のうえに構築されている。このビジョンは、公務員の特長と動機について楽観主義を共有する人々―公共サービスの労働組合や専門職者グループ―によって共有されてきたため、4つのうちでもっとも一般的に知られてないかもしれない。これは必然的に近代化された国家の一つの変異体だが、上述の参加型国家とは非常に異なる形体である。
ピーターズが明らかにしたように、これらのビジョンのいずれもが、メッセージだけは大げさでも、黙殺があったり、整合性に欠ける面を持っている。四つのうちのどれもが純粋な形で実現されたことはないということは、もし第2章と第3章で確認された急激な変化が制約となっているとするなら、意外ではない。それでも、どの国も、一つの支配的モデルを好むことが、改革に関わる重要な演説や資料の中で検証されている。それゆえ、ニュージーランドの改革は、市場化モデルを選好するミクロ経済的思考に負うところが大きいのは明らかである(付表「国別資料:ニュージーランド」を参照のこと)。最近のフィンランドの改革文書は、参加型モデルにかなり傾いている。「以前の行政改革は、行政部の官僚を増大する経験であった。政府は、ガバナンス政策の民主主的発展を確実なものにすることを欲している」(High quality service, good govemance, and a responsible civil society, 1998a, p.8)。
この節を締めくくるにあたり、ビジョンは改革の修辞的側面を形成するのに重要な役割を果たすが、改革過程の結果を評価する手段としてビジョンを使用するのは難しいと言われている。熱狂者にとっては、ビジョンに現実を近づけることは恒久的な関心事であるが、熱狂者はたいていの場合少数である。