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サッチャーの1979年の選挙公約からとった「国家への回帰」というフレーズに代表されるように、サッチャー女史の改革にはどこかこの明確なビジョンの要素があった。1984-1994年のニュージーランドの改革を告げるビジョンには、同様な鮮明さがあった(それに確かに整合性もあった)(Boston, et al 1996, p.p3-6)。NRPがビジョンを持っていないということについて、誰もゴア副大統領を非難できないだろう―大きく書籍が「よく稼動し、費用の掛からない」ように政府を大改造するというテーマに関して詳しく述べている。

 

その他の国々では、ビジョンは、おそらく、これほど強い調子では宣言されず、これほど以前の状態に復帰する闘争はなかったが、理想主義と未来主義的修辞的表現の要素はあった。フィンランド政府は自身民主主義と平等主義の配合に再び着手した(High quality service, good governance, and a responsible civil society, 1998a)。オランダにおける新しい1994年の「紫連合」は「政治の優越」、およびアカウンタビリティーを持たない特殊法人の制御に着手した(Roberts, 1997)。ドイツでは、現行のシステムの良さを好み、「一時の熱に浮かされる」のを意識的に拒否したという(Derlien, 1998)。実際、東西ドイツが統一されると、既存の西のシステムが東の行政制度を取り替えるために誇らしげに広がった。

 

むろん、学者は理念モデルとユートピア的展望を愛好する。かれら(われわれ)は、新しい「パラダイム」のあるかなきかの香りに大層な興味をもつし、政治的指導者によって語られる断片的なビジョンを分析できるようにするために―そしてその後しばしばそれをけなしたり褒め称えたりするために―、それを洗練し、体系化し、精緻化することによって反応する傾向がある。一方、政治家は、たいていの場合、世俗的な知恵を備えていて、好ましい将来について、むしろもっと漠然とした、融通のきく、両義的な語り口で語ろうとする。これらの集団は双方とも、目的も技能も異なる。我々は政治家というより、むしろ学者であるため、ビジョンを「もてあそぶ」のは有益だし啓発的訓練であると主張しても、誰も意外には思わないだろう。提出された様々な理論枠組みすべてに判断を下す立場にはないが(我々自身の独自の理論枠組みは最終章で展開する)が、一つの例をみるのに十分な時間だけ立ち止まることも役に立つかもしれない。

 

ピーターズ(Peters, 1996b)は、四つの主要なビジョンがパブリック・マネジメント改革の国内および国際的レトリックのなかに確認できることを示唆している。

 

・‘市場モデル’:これは、広範にわたる民営化と、それゆえ公共部門の縮小の見通しを隠す―そして、それ自体、市場タイプのメカニズムが吹き込まれることになる。市民は顧客や納税者となり、政府の機構は、政策決定、緩やかな規制と契約請負の部分に縮小する。これは、第4章の最終節で紹介した「最小化/民営化」のオメガに一致する。

 

 

 

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