第二に、システムが柔軟性や能力などが獲得したという主張を評価する際ときに、可能だろうが手におえそうもない難しさがある。これらの主張は、どのように検証されるのだろうか。旧(以前の)システムが新しい状況や圧力と格闘してきたというのは、おそらく事実に反している。だが、それは、ふつう、適応するのが難しい基準なのである。誰が、旧システムがどのようにして実績をあげてきたかを正確に言えるのだろうか。進歩か衰退かの説明を伝える際に、新システムの良し悪しについて述べている最も大きな声が、強力で明らかな利害関係を持つ部内者であるということも、何の役にも立たない。
要するに、システム改善のカテゴリーは、理論では魅力的でも、経験的実務のなかで明らかにするのは非常に難しい。後知恵の危険も相当あるし、数少ない偶発的出来事やエピソードによって歪められる洞察力のリスクは高い。また、変化を過度に整合的方法―目にするすべての変化は、強制や偶然よりも、むしろ意図的なものであると想定することや、その上さらに、それらはなんらかの「体系的アプローチ」全体のなかで相互に関係していると仮定すること―で見せようとする誘惑もある。こうした整合性と意図性の問題は、最終章で、さらに論じられる。また、「公共サービス文化」、あるいは「改革についての世論」と呼ばれるような単一の実態があると仮定することもまた誤解の元である。上記で示したとおり、こうした調査は分裂し入り組んだ姿を伝える。組織文化は、役割と職階に相当の程度依存しているように思えるし、またそれは、改革者の権能を超える変化を求めるかもしれない社会的価値のいくつかの基本的要素があるため、いくつかの面ではその他の面よりも早く変化することがあるかもしれない。世論も、また、改革の成功と政治行政システムの知覚された正統性との間に簡単で直接的な結びつきがないので、複雑な問題である。
今言えることは、たぶん、いくつかの国の政治行政システムは、他の国よりも、大きな変化を経験しているようにみえるということだけである。
第3章と第4章、それに付表から明らかなように、変化の大きかった国(マネジメントという観点から見て)は、ニュージーランドとイギリスであり、変化が小さかった国はドイツである。本書で考察されたその他の国はその中間のどこかに広がっている。しかしながら、変化の大きかった国の多くの刷新がすべて‘改善’と見なされるかどうかは、まったく別の問題である。たとえば、評論家のなかには、強力な現行のシステムにとどまることが、マネジメント改革においては欠点があるうえに馬鹿げた流行を玩ぶよりも良いと考えているものもいる(Derlien, 1998)。
5.6 ヴィジョンの実現としての結果
しばしば、マネジメントの改革は‘一時的なもの’であり、機能的でもある。しばしば、それは、現実であれ仮想であれ、危機を回避するために設計された非常手段である。だが、マネジメントの改革が実行されるときは、想定される未来世界において物事がどうあるべきかについての大規模なビジョンを実現するという目的を持つ場合もある。これらの想定された未来世界は、きわめて一般的な用語で組み立てられる場合もあるし、もっと特殊な方法の場合もあるが、誠実な人の結集の場や指針、そして今までのところは不可知論者の人への警報として、有益な目的に使える。第4章で論じた軌跡という観点からは、これらの未来世界は、高い規範を持つオメガ(Ω)であり、ここからあそこへ到達する方法を示す計画によって達成されるかもしれないし、そうでないかもしれない。