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ここではこれらの一般化について簡単に説明するにとどめるが、そのための証拠は本書の後段において集め続けていく。これを行う一つの方法は、たとえばフィンランド、ドイツ、イギリス、アメリカ合衆国における改革過程を比較することである(すなわち、近代化に積極的だった国、マネジメント改革について保守的だった国、「熱狂的NPM国家」、そして改革のレトリックが声を大に叫ばれたが、改革の達成は必ずしもそれに比例するほど印象的ではなかったアメリカ合衆国の事例である)。

 

フィンランドでは、かなりの改革が執行されたし、多数の公務員が目立つほどに削減されたが、その執行は方法は控えめだし、ペースは比較的のんびりしていた。さらに、その時期には三つの異なる連合政権が存在したにもかかわらず、高度の継続性が維持された。1987/88年に着手された改革プログラムは10年後にもまだ「展開」されていた。このプログラムを発案し調整したのは、主として財務大臣で、その意味ではかなり「上意下達」式であった。その範囲は広く、中央政府のすべて、でなければそのほとんどに影響を及ぼしたが、市町村には直接適用されることはなかったので、市町村は憲政上の自立を享受しており、みずから改革を決定することができた。中央政府の改革の好例は、結果志向の予算編成で、これはもっと大規模なプログラムの重要要素の一つである。1988年から少数の自発的試験プロジェクトが開始され、その後にこの制度を全省庁とその出先機関にまで拡大するという政府決定へと発展した。目標は、1995年の開始までに―着手から7年後―このシステムを完全に適所に組み込むことだった。組織的な側面については、新しい形式の国有会社は相当の新機軸だったし、中央政府の出先機関制度は1990年代半ばに大々的に改造されたが、省庁自体は広く安寧を保った。人事に関わる改革は法令集に含められたが、ゆっくりと、限られた範囲で利用されるようになったにすぎない。フィンランド国民はOECD諸国全体での改革に細心の注意を払っているし、PUMA、その他の国際組織の活動的なメンバーであるが、改革理念の輸入には慎重かつ選択的で、フィンランドの政治行政制度に適合するようにこれを改作した。民営化と準市場メカニズムがNPMパッケージの要素であったが、このパッケージはフィンランドでは相当の制限付きで取り扱われた。「市場一辺倒」はいっさいなく、市場は自動的に「保護主義国家」に優越するという理念をおおいに後援する政治の後押しもいっさいなかった(Ministry of Finance; 1997; Pollitt et al, 1997)。

 

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