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かなり顕著な事例は、多くの国が、公共支出に対する圧力のために大蔵省や中央の財政省が支配力を強めるという流れをたどったことである。たとえば、フィンランド財務省やニュージーランド大蔵省、イギリス大蔵省は経済的制約のためにその優越性を強めたという、普遍的認識が、官僚の間にはある。さらに、中央集権化が財政的問題に限られてはいなかったのは確かである。中央の権力が実績指標制度や設定された基準を用いて、下位の階層や地方の部局への支配力を再証明した例は、とくにNPM諸国においては、枚挙にいとまがない。イギリスでは、中央政府は、あらゆる学校や病院に全国的な「実績一覧」を強要したし、1988年からは、あらゆる国立学校に初めて全国的な教育カリキュラムを課した(Pollitt, Birchall and Puyman, 1998)。EUでは、欧州全土に渡る製品もしくは規則もしくは手続きの「一致」が、ブリュッセルの委員会に事実上の中央集権化をもたらした多くの事例がある。それゆえ、あらゆるものが分権化の方向に向かっていたと考えるのは単純すぎるということだけは言えるだろう。

 

‘規模’。規模は、明らかに、このすぐ直前で論じた組織の他の側面のいくつかと密接に結びついている。経費節減という目標から導かれる「規模縮小」への一般的な圧力に加えて、専門化と分権化に向かう傾向もまた、多数の公共部門における組織の平均的規模の縮小を示している。理想的な公共部門組織は、NPMや政府大改造運動の熱狂的支持者や夢想家らが描いたとおり、「水平的構造」で、柔軟性があり、専門特化(専念)し、分権化されていて、それゆえ‘小型’である公算が高い。こうした、改革へのアプローチには、大規模な中央官僚制度への根深い学門的な疑いもまた含まれている。こうした組織は(次章で検討するとおり)、改革者が逃げ出すことに決めた「旧世界」を代表している。アメリカ合衆国副大統領は、これを以下のように表現した。「大きな本部とぶ厚い規則集が、政府に大きな過ちを犯させないようにしたことは一度もない。実際、それらは第一線の労働者に正しいことをさせないようにしてきた。だから、われわれは出先機関に、何層かの監督者や本部職員、その他の管理統制職の階層を50%削減すると諸機関に問うたのだ」(Gore, 1996, p.16)。

 

しかしながら、「小さいことは良いことだ」という見方は、明らかに万国共通ではなかった。たとえば、ニュージーランドやイギリスでは、中央官庁が大幅に規模縮小されたが(Boston et al, 1996; HM Treasury, 1994)、フィンランドでは1990年代には実際、中央官庁規模が以前は中央の出先機関によって行われていた業務のいくつかを吸収して、拡大するにいたった。一般に、ヨーロッパでも大陸諸国は、全体的目標としての「規模縮小」にはそれほど熱心ではなかった。欧州委員会自体は、大幅に拡大した。1977年から1997年までの間に同委員会の職員数は104%も増加し、「A」級の政策決定も150%の増加を見た。しかしながら、同じ期間中にEUの予算は実際額で206%増加したことに注目しなくてはいけないし、同委員会の任務が1980年代を通して急速に膨張したことは広く認められているのだから、外部スタッフが新しい責務を処理する必要があると論じることもできる。にもかわらず、同委員会の組織の発展は、確かにNPMの趨勢に従わなかった。同委員会は、ある程度までしか専門化せず、水平的な調整は脆弱な形でしか創られず、意味のある方法で分権化も始まらずに1990年代末を迎えたが、規模の点では膨張し続けた。

 

 

 

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