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この点を考慮すれば、ニュージーランドやイギリスでは行政の分権化の方が好まれてきたが、フィンランドやフランス、スウェーデンでは政治的な分権化の方が優勢なタイプだったと言えるだろう。ニュージーランドやイギリスでは、地方自治体に新たに権限が与えられることはほとんどなかった。いずれの場合も、分権化は多岐にわたる専門化した行政機関(イギリスにおける公費助成学校やNHS信託など−Pollitt, Birchall and Putman, 1998, を参照のこと)に権限を移転してきた。これとは対照的に、フランスでは、この30年間でもっとも重要な唯一の改革は、1982年からのミッテランが大統領職にあり社会主義政権だった期間中に行われた、選挙によって選出された地方や地域の自治体当局に対する分権化であった(付表「国別資料:フランス」、およびMontricher, 1996,を参照のこと)。フインランドとスウェーデンでは、政治的分権と行政的分権の双方が行われたが、権限の市町村や郡への委譲は改革プログラムそれぞれの中心案件だった(Pollitt and Summa, 1997a)。それゆえ、イギリスは、選挙によって選出された地方自治体に権限の移転をあまりにもわずかしか行わなかったのだから、EUの「変わり種」である。しかしながら、これは1997年以降の労働党内閣の支配下で変わり始め、その変化の中で、本書を執筆中の現在、スコットランド及びウェールズ地方を対象に、選挙によって選出される立法府の創設のための計画が順調に進められている。実質的権限がどれほど、これらの新しい民主的議会に移転されるのか、それを云々するには、まだ時期尚早である。

 

競争的分権と非競争的分権の区別に話を移すと、同様のパターンが見える。競争的アプローチはオーストラリア、ニュージーランド、そしてイギリスで顕著だったが、それに比べてフランスや北欧諸国ではあまり目立たなかった。アメリカ合衆国は、外注にかなり熱心だった(が、少なくとも連邦政府レベルでは商業化しようという熱意ははるかに低かった)し、カナダは(これまた、連邦レベルでは)一般に、より慎重だった。これはむろん、上述したとおり、MTMの使用に関わる熱意と慎重さのパターンから必然的にもたらされた結果である。

 

部内/外部の区別については、どの国もすべて、双方の種類の分権化を、同程度に実行したが、NPM諸国はおそらく、‘外部’への分権化の方をより多く実行したというのが無難である。というのは、後者はきわめて熱心に専門化した自律組織を新設し、しかる後にそれらへの権限委譲を展開したからである。フランスもまた、政府の、政治的分権化と行政的分権化のより広範にわたる戦略に沿って、新しい地方機関をさかんに増設した。オランダの事態は複雑だった。中央政府による外部分権の証拠として、ZBOと部門機関の創設があげられる。一方、1980年代と1990年代には、「支出省は県や市町村への権限委譲に断固として反対し続けた(し、成功した)」(Derksen and Korsyen, 1995, p.83)。その他の諸国(たとえば、北欧諸国)もまた、権限の移転を実行したが、新しい権限の移転先としては新機関よりも、現存の地方自治体の方が多く用いられた。しかしながら、フィンランドとスウェーデンでは若干の相違が見られた。フィンランドは1990年代半ばに中央の機関の数と機能を縮小したが、スウェーデンの諸機関はきわめて大きな権限を持っていたし、中央政府からそれまで以上に大きな権限を与えられる場合さえあった(OECD, 1998)。

 

地球規模の分権化への突進が起こったこと、諸国間の相違が分権の種類を決めたこと、分権がかなり進んだことを示唆することは、大きな誤解を招くことになろう。中央集権化も、また、この構図の一部となっているからでおり、分権化を行った国もあったが、同時に中央の支配力と監督を強めた例も多々あったのである。

 

 

 

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