日本財団 図書館


ニュージーランドでは、政府は単一の統合されたサービスという考えからまったく離れた。1988年の国家公務員法は、部局をいくつか作り、それらの職員の雇用者としての局長の監督下に置いた。賃金の期末調整と、公共サービス全体における交渉で無給の役務が廃止された(Boston, et al, 1996, Cha.10)。公共部門は、かつては民間部門を対象としていた労働関係法規に従うこととなった。

 

この手の「正常化」にあっては、公務員は「特権を剥奪」され、その待遇が民間部門の雇用と同じく、ますますばらばらで部局ごとに異なる諸条件になっていくのだが、こうした「正常化」の軌跡をすべての国がたどったわけでないのは確かである。フランス、ドイツ、そして欧州委員会は注目に値する重大な例外である(「例外」という語が該当するのなら、だが)。たとえば、欧州委員会によるMAP2000イニシアチブは、人事管理の大規模な分権化として主張されたが、それはすでにNPM諸国が実現したものと比較するなら、きわめて弱腰で、因習的だった(European Commission, 1997b)。この管轄権内では、国家公務員はきわめて独特な―法律的にも文化的にも、政治的にも―カテゴリーのままにとどまった。北欧諸国は、われわれは、財政に関わるマネジメント改革をともなう事例だとみているのだが、熱狂的NPM支持者と、もっと保守的な「法治国家」体制との中間の道をたどった。フィンランドとスウェーデンは実績連動報酬のための、そしてさらなる分権化と結果志向の人事管理諸規定を設けた―たとえば、1992年スウェーデンの各省庁は、みずからの職員の訓練と開発に責任を負うようになった。それでも、これらの国々は、公務員の、必要不可欠の統一性を最低限界解体する以上のことはしていないし、省庁が実際は、みずからが得たと思われている「自由」を限られた部分しか利用していない場合もある。カナダの連邦政府職員についても同様のことが言える(Bourgault and Carroll, 1997)。オランダでは、最上級公務員の経歴マネジメントは1990年代半ばに実際に‘中央集権化’された(Mazel, 1998)。

 

合衆国はこれもまた特異な事例である。理論的には徹底的に公正で非個人的な能力主義の制度によって、新職員の獲得と職務分類の全国的な枠組みができあがっている。

 

しかしながら、今日の連邦政府の一貫した能力主義の制度は一貫してもいなければ、能力主義でもない。今や連邦政府職員のかろうじて半分超―56%―に適用されているにすぎない。連邦政府のキャリアの新人で、この制度の標準的な試験と配属の過程を経て採用されるのは、そのわずか15%にすぎない(Kettl et al, 1996, p.1)。

 

1980年代から1990年代にかけてさかんに論議されたことだが、包括的な改革は合意も実現もされなかった(そのため、合衆国はこの点についてはオーストラリアやニュージーランドと異なっている)。合衆国の複雑で、バラバラに分断された政治制度にあっては、以下の通りの問題がある。

 

公務員に関わる改革は、各人の遂行すべき職務のリスト上に存在している―が、事実上だれのリストにも存在していない可能性が高い。政治的関心を喚起するにはあまりにも魅力にとぼしい。それに、変化が必要性だという点についてはだれもが賛成だが、公務員の改革が行われなくても、それほど重大な結果にはならないので、必然的に政治問題化するということはない(Kettl et al, 1996, p.2)。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION