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第三の手段、すなわちもっとも野心的な手段は、予算配分自体の手続きを変更することで、これは、たとえば、インセンティブを予算中の重要項目に移すこと、あるいは構造、それに予算関連の議論を行う時期を基本的に変更すること、予算関連のプロセスにおける立法府の役割を変更すること、などの方法が用いられる。

 

詳細な議論に入る前に強調しておきたいのは、予算配分関連の改革の証拠を解釈するには注意が必要だということである。予算配分はきわめて政治的な過程、行動であるため―たとえ正式な手続きが修正されたにせよ―変更するのは容易ではない、「○○国は1995年以降、実績主義の予算配分を採用する」といったキャッチフレーズが真実を語っていることは、稀である。予算関連の改革はたとえ首尾良く実現されたにせよ、関係組織が新しい手続きによくなじみ、それを完全に実行するようになるまでに何年もかかるかもしれない。最後に、予算関連の改革は頻繁に行われるため、当然ながら本書が刊行されるまでには本書に掲載されてないイニシアチブが開始されていることだろう。

 

以上の警告を念頭に置いていただければ、予算関連の改革にはさまざまなパターンがあることがおわかりいただけるだろう。実業績主義の予算配分を強化するための大きな変更は、オーストラリアやフィンランド、ニュージーランド、スウェーデン、イギリスで実行された。実際、1970年代後半から、「結果志向の予算配分」は、フィンランド、スウェーデン両国のマネジメント改革のプロセスの中心的な方針となってきた(Pollitt and Summa, 1997a)。したがって、こうした国々は「第三の手段」の範疇に分類される(表4.2を参照のこと)。カナダもまた、この範疇に分類される。というのは、実績に関わる情報と予算配分との間の関係はまだ包括的で漠然としている(President of the Treasury Board, 1997)が、予算の時機と周期性が変更され、立法府の成員が、実績データを、もっとよく情報を得たうえで使用することを奨励すべく努力を傾注した。

 

カナダは、予算関連の改革を「読み取る」ことの困難さを示す好例である。1980年代初め、連邦政府は予算の近代化政策―〈a Policy and Expenditure management System(PEMS)〉、〈a Multi-Year Operational Plan(MYOP)〉、および〈Operational Famework Plan(OFP)〉―を導入した。広報誌に見る限り、この制度はたいへん合理的であるかのように見えた。実際は、1993年に始まったマルルーニー政権の下で、PEMS制度は奇妙なことに閣僚の説得にも、閣僚に支出目標を達成させることにも失敗した。この制度は1989年には部分的に、そして1995年には完全に、新しい出支管理制度〈Expenditure management System〉に取って代わられた。EMSはどうにかこうにか、十年以上も費やし、最初の均衡予算を作成したが、そのときでさえ、予算配分と実績との関係は議論の余地があった。実際、この問題はたんなる技術的な問題にとどまるものではない。ほとんど半世紀にわたり、多くの国々はプログラム実績と自国の予算配分との間に密接な関係を確証しようと努めるために、大いなる困難に耐えず遭遇してきた(General Accounting Office, 1997; Pollitt, 1998a)。最新世代の予算関連の改革でさえ、それまでの改革の努力をかろうじて上回る以上の成功を収めると信じるべき、理由はとくにない。

 

 

 

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