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「6ヶ国の政府はすべて、予算についての以前のアプローチから出発して、政府支出に対して“上意下達”的に全体的な制限を課した…。多少の違いはあるが、各国が考えたのは、数年間にわたって実際の支出を全体的に削減する道を求めるというアプローチだった」(『General Accounting Office, 1994, p.6アメリカ合衆国会計検査院(1994年)6ページ』)。

 

削減の深刻さと範囲は、政治的機会によって左右された(他に比べて、政治的に「より困難な」目標もあった―たとえば、武器の新しい装備・技術の費用を削減する方が年金を削減するより容易である)。しかしながら、一般に、この手のアプローチは業績向上とよく相容れるものではない。なぜならば、日和見的にチーズ一切れを返還させることにより、計画実行の責任者(operational manager)にとっては、ふと気づくと業績向上とはまったく無関係な理由でみずからの管理下にある予算の一部が失われるという、ほとんど予測不能な、好ましくない環境が創り出されるからである。マネジメント担当者は、みずからを、あらゆる権能をそなえているかのように見える中央政府財政部門の自己中心的的干渉の犠牲者と見なすようになる。

 

経費節減への第二の道は、業績向上との両立という点では、多少ましかもしれない(が、実行されるにせよ、予算の削減に良い顔をするプログラム管理者はいない)。それは、フィンランド、スウェーデン、アメリカ合衆国をはじめ多くの国々で行われている「体系的−区分的予算配分(frame-block budgeting)」の採用、もしくはその増加ということである。中央政府が広くシーリング(体系)を定めて、これを支配下に置くが、その範囲内で特定のサービスやプログラム、プロジェクトへの予算配分にかかわる責任を地方の政治家および/もしくは地方自治体のマネジメント担当者に委譲するものである。たとえば、フィンランドでは、1994年に体系的(frame)予算配分を導入したことよって、中央省庁が地方自治体の個々のサービスの規制と支配に深く関与するというシステムは、中央政府が各地方自治体を対象に公式により定められる総額を定め、その総額をさまざまな活動の間でどのように配分するかの決定を地方の政治家にゆだねるという関係へと転換した(付表「国別資料:フィンランド」を参照のこと)。このアプローチにより、地方自治体は優先事項を決定できるようになった。しかしながら、多くの評論家が指摘しているように、拮抗する優先事項の間で苦しい選択をするという、不人気な作業もまたきれいに委譲された。また予算に関わる手続きには予算についての議論に対して明瞭で分離独立した段階がもうけられていなくてはならないが、体系的(frame)予算配分はこの手続きの変革を必要とする―第一に、総体としての財政体系(frame)を決定し(それゆえ、もっとも適切な公式とはどのような公式かについての議論)、しかる後に特定のプログラムに対してどのような配分が行われるべきか(それに、それらのプログラムの実績をどのように測定すべきか)に関する地元の詳細な議論が行われる。

 

経費節減よりも“業績”に深く関連する財政マネジメント改革の特徴に話題を移そう。これらのマネジメント改革については、きれぎれの軌跡が無数に見られる。まず最初に挙げる手段は、年度予算に関わる情報と平行して、実績に関わる情報を発表するだけの場合もままある(とはいえ、特定の「業績」と特定の予算配分とを関連づけることは困難か、もしくは不可能かもしれない)。次の手段は、予算自体の構成と内容の変更を開始することで、このためには、一般に項目別予算配分を離れて範疇分類を業績に直結しやすくすること、予算配分が新しい戦略的計画に直結するようにすること、などの方法が採られる。

 

 

 

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