
機関の基本方針を定めるために政治的被任命者に依拠することと、一つの機関のマネジメントの中層にまで深く浸透するほど多数の政治的被任命者を任命することはまったく別である。これらの余分な層によって政府の最上部から下層までの距離は広がり、政府最高位者の、みずからの方針を伝える能力は挫折しかねない。こうした階層のせいで、情報の流れは上下線とも複雑化する。そうした階層は、多岐にわたる最終目標を具体的な目標とマネジメント可能な目的へと書き換えるという、つねに困難な仕事を妨げる。また、官僚制の中に長期間勤務する公務員のキャリアの道筋に人為的に低くされた天井をもうけるし、それゆえ、連邦政府の専門職員に付加的な挫折感を与える(Kettl et al., 1996, p.83)。
こうした論議を呼ぶ実態は、カナダやニュージーランド、イギリスにおける常態と対照的である。これらの国では、公務員の上層への、政党によるあからさまな政治的任命はほとんどないし、「高級官僚」はふつう、その勤務生活のすべてか、ほとんどすべての期間中、国家組織の上層部に勤務するものと思われている。このことから、継続性の利益と知識の蓄積、それに保守的傾向(前例主義)、限られた経験という短所とが、両者とも同程度に、もたらされる。これらの国々では、閣僚と高級官僚のキャリアのパターンには大きな隔たりがある。
3.6 ガバナンスの哲学と文化:「法治国家(Rechtsstaat)か、公益か?」
これまで政府の「典型的な習性」(合意主義と多数決主義、それにそれらの異形体)、および閣僚と高級官僚との間の関係を検討してきたが、今度は行政の「典型的な信条」について検討する。行政の特徴的な文化を、価値と仮定条件の特徴的なパターンをそれぞれ確認することは可能だろうか。