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したがって、改革の発表は、行政活動のための詳細な計画案であるのと同じく、解釈されるべきテキストである。改革の発表は、どちらかといえばまったく何にもならないものもあるので、当初の取り決めが中期的にどこまで実現されたかをチェックすることが望ましい。この点において、改革の発表は、その他の政治的宣言書の大半となんら異なるところはないのである。MarchとOlsen(1995, p.195)は、これを以下のように述べている。

 

大半の民主政体は、その時々で、行政部門の包括的な改革に着手する。そうした政体は、特殊な任務か議会によるイニシアチブを創り出して、政府の行政機構を解体修理しようとする。こうした努力は定期的にみずからの初期段階に喝采し、みずからの抱負をほめそやし、みずからの勧告を無視する。

 

われわれの見るところ、これには幾分誇張がある―‘包括的な’改革は実際には非常にまれだし、批評家の勧告のうち少なくとも5つ、6つは実現される。それでも、やはりマーチとオルセンは、重要な理念、すなわち改革を‘宣言’し、‘勧告を行う’ことが、改革の生得の権利ではあるが、遂行の必要のない活動となるかもしれないことを示唆している。政治家、コンサルタント、そして学者は宣言や報告を創り出すことによって、長期的にはそれ以外のことは何も起きないにせよ、かなり立派な暮らしができる。たとえば、過去を振り返る分析により、カナダ首相マルルーニーによるマネジメント改革のイニシアチブは結局たいしたことがなかったことがわかった(Savoie, 1994)。大半の国々では、少なくとも得票数を稼ぐ政治的なレトリックに過ぎない、きわめて慎ましい成果が見られる。

 

‘執行’のプロセスは、改革のとくに重要な段階である。行政学という‘科学’は精緻なものではない。改革の理念を実行に移そうと企図する期間中には多くの学習成果が得られるので、そうした学識のいくつかが当初の構想から発展した新しい成果だと解釈される。1979年代、英国系アメリカ人学者の論文で、この段階に焦点を絞ったものがいくつか現れたし、その多くは一式の改革が実際に計画に沿って展開されるチャンスについてかなり悲観的であった。とくに影響力を持った論文の副題は、「ワシントンの大きな期待が、いかにオークランドに殺到したか」だった(Pressman and Wildavsky, 1973)。これは、トップ−ダウン方式の改革が、多くの行政部門と決定の長い連鎖を経て、いかに執行されるか、そして成功のチャンスはもっとも弱い結びつきを強めること以外にはないことを物語っている。後継の学者は、この、主として線状の執行プロセス・モデルがあまりにも単純で、改革の複雑さにかかわる初歩的な点が確立されてないという。

 

実際、執行プロセスは次第に複雑化するかもしれない。プログラムはますます、単一の実行者によるというよりは、むしろ組織の複雑なネットワークを介して行われるようになるとしいう(Kickert et al., 1997; Lowndes and Skelcher, 1998)。これらのネットワークに含まれるのは、政府の様々な階層、独立自営の公営企業、公共および/もしくは民間組織、営利企業、それに篤志家などによる非営利団体などである。執行のネットワークはますます、国際化しており、テレコミュニケーション、輸送、環境もしくは伝染性疾患の分野における政策で、もっとも顕著である。欧州委員会は、そうした多数のネットワークの中央に位置しているのだから、それ自体変身して「ネットワーク組織」になるべきだという主張もある(Metcalfe, 1996)。マネジメントの改革に対するこうしたことのすべての意味は複雑である。そうした改革が効果的であるとするなら、その「分析単位」としてネットワーク全体を取り上げる必要がある場合が多いように見える。

 

 

 

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