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しかしながら、利用可能な理論と利用可能な公的機関は、そうした任務にとっては容易に不適当となる可能性がある。タイプの異なる組織のネットワークをいかに構築もしくは再構築するのかについての理念は、不足している。それにネットワーク全体の総合的改革を遂行する公的機関が存在しないかもしれない―ネットワークの各構成員は、マネジメントの変化という問題で、人の支配を受けることはないからだ。

 

また、執行中に生起する可能性のある別の問題は、個々の改革が、それ自体ではよく道理にかなっているにせよ、同時に執行される他の改革と矛盾しているか、もしくは劣っているかもしれないことである。たとえば、カナダの会計検査院副長官は、1990年代初頭のさまざまな公共サービスの品質改善によって達成された緩やかな進歩についてコメントする中で、以下のように述べている。

 

われわれは関連資料とわれわれのサービスのマネジメント担当者との討論とを再検討したところ、政府が繰り返し行った約束に対して、それらの担当者がもっと大幅な進歩を達成しえなかった理由が多数あることがわかった。その理由としては、たとえば公共サービスにおける1991年のストライキ、1992年の政府再編成、1993年の政権交代、それにその後の〈プログラムの再検討〉とこれに関連するプログラムの縮小が挙げられるし、個々の部局によって執行された設計変更もまた、そうである(Auditor General of Canada, 1997, para 14.65)

 

また執行は、それが直接、意思決定者たるエリート集団に対して、次に何をするかについての理念がフィードバックされ得るという意味において、きわめて重要な段階である。たとえば、ニュージーランドでは1980年代半ば以降、細かく洗練された事業マネジメントシステムが設置された。1990年代半ばまでには、このシステムが成熟し、重要な産出物に焦点が絞られ過ぎる危険性があることが認識された。プログラムの究極の目標(児童の教育、失業率の低下)は退場させられ、授業がいかにうまく提供されるか、いかに多くの失業者訓練コースが保持されてきたかなど、プロセスや産出物の測定規準に関心が移った。ニュージーランドの上級パブリックマネジメント担当者会議(1997年)は、タイトルもテーマも「獲得物(=目的)の増大(=向上)―出力(仕事量)から産出(成果)へ―」であった。

 

とうとう、この長く、入り組んだ道も終盤にさしかかった―改革のプロセスから最終的に生まれる成果(囲みO)について検討する。これらは、政治行政のエリート集団の当初の抱負に酷似しているかもしれないし、そうでないかもしれない。酷似しているにせよ、そうでないにせよ、これらの「結果」は、執行段階のように、プロセスのより早い段階(囲みI、J)―とくに、どのようなタイプの変化が好ましく、かつ実現可能であるかについての、エリート集団の展望―へとフィードバックされそうである。実際―われわれが第5章で検討するとおり―改革の「最終結果」は確信をもって確認するのが難しい場合が多い。レトリックと現実を解きほぐすことが非常に困難な場合もある。ほんとうのところ、「最終的な現実」は、それが構成される際に、その構成物を媒介にして、それに対抗する話法があまりにも徹底的に浸透するので、本源的にこれを完全に切り離すことのは‘不可能’である。さらに、行政部門の新しい構造とプロセスがまぎれもなく存在するかもしれないが、それがどの程度、先行する改革に起因するかの判断が問題になることが多い(Pollitt, 1995)。インタビューでは、面接者は、一定の効果の原因を、ある改革が影響力を持つ唯一のものなのに、さまざまな影響力に求めることが多い。

 

 

 

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