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これらの理念は、ビジネススクールや企業の会議室、政府の専門家会議、それに空港の売店においてさえ、話題になっている(Pollitt, 1993第1章に、簡単な分析があるので、これを参照のこと)。相当額の国家間相互借入があったが、これを促進したのがPUMA/OECD、世界銀行などの国際組織である。サヴォワ(1994年)は、イギリスのサッチャー(1979-90)やアメリカ合衆国のレーガン(1980-1988)、カナダのマルルーニー(1984-93)などの保守派政権のあいだの相互借入の重要例を詳述した。マネジメント理念の販売は1980年代と1990年代の成長産業の一つであったことは疑い得ない。同じく、指導者の著作やマネジメント・コンサルタントの提示した内容が、本書で検討している数ヶ国の政治や公務員のリーダーに影響を与えたことも疑い得ない。ひょっとすると、もっとも有名な事例は、ピーター・ダッカーやトム・ピーターズなどの総合的マネジメントについての著作者から、アメリカのベストセラー『行政革命(Osborne and Gaebler, 1992)』を経て、合衆国の主要な連邦政府報告『よりよく機能し、より安価な政府を創る:政府実績論評(Creating a government that works better and costs less: report of the National performance Review)』(Gore, 1993)に至る有識者の系譜であるかもしれない。

 

むろん、マネジメント関連の理念は、流行したとはいえ、具体的な改革に、純粋な形で直接姿を変えることは滅多にない。それよりはむしろ、さまざまな源から引き出された理念の巨大な保存湖に流れ込み、政治や行政部門のエリートらにより使用される(囲みI、J)。それにもかかわらず、総合的マネジメントにかかわる理念は、公共部門の改革を一見する限り、突出しているし、とくにオーストラリア、北米、イギリスにおいてはそうである。これらの国々では(そして、それほどでもないにせよ、他の国々でも)、目標別マネジメント(MbO)、総合品質管理(TQM)、事業プロセスの再構築(Business Process Re-engineering=BPR)の水準点決定などの総合的なアプローチと技術が、公共部門において広く採用された(National Performance Review, 1997b; Pollitt and Bouckaert, 1995; Trosa, 1996)。また、ミクロ経済理論に立脚した組織の設計原理も、これらのマネジメント関連の理念とともに、そしてしばしばこれらと混交しながら、広く用いられた。たとえばニュージーランドでは、公共選択論やエイジェンシー論、それに取引費用経済学はすべて影響を受けた(Boston et al., 1996第2章)。

 

本章の冒頭付近で用いた引用(27頁)において、ケーニッヒは「公共関連業務の国際化」に言及している。確かに、これは指導者やビジネスクールによって創始されたものも、ミクロ経済理論から生まれたものも、ますますマネジメント理念の真実となった。行政部門の改革の任に当たる部局や作業班は、二国間ネットワークであると同時に多国間ネットワークであり、それ自身の国際的ネットワークを持っている。OECDのパブリック・マネジメントサービス[PUMA]は、1980年代後半以降、そうしたネットワークの影響力のある結節点であった(たとえばOECD 1993b, 1995, 1997a; Halligan, 1996a、および―「PUMA派」批判の文献としては―Premfors, 1998を参照のこと)。

 

囲みGは、パブリック・マネジメントの変化に対して、いっそう影響力を持つ政党の政治理念を確認している。政党はみずからがどのように統治したいかについての理念を捕捉するが、こうした理念には構造や流儀、そしてプロセスに関わる論点が含まれている。たとえば、ある政党は「官僚制度の縮小」を望むかもしれないし、「分権化して、権限を国民により近づけること」を望むかもしれない。

 

 

 

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