日本財団 図書館


最終段階では、上記引用に見えるシックの表明した考え方に従い、われわれは詳細な機能的結果、解釈、解説を確認しようとした。十ヶ国の経験を、各国の厳選された学者もしくは実務家である専門家の前に置くことにより、モデルの十ヶ国の経験への応用が行われた。これらの専門家に宛てた質問は、基本的に「貴国において起きたことについても、われわれの解釈/解説は正確でしょうか。また了解可能でしょうか。」といったたぐいのものである。われわれは、この最終段階でいただいた多大なご支援に、今もなお深く感謝している。

 

1.5 結論:本書の展望

 

学術論文を書く人々にとって、みずからの展望とありがちな偏見を「告白」するのが、近年勢いを増しつつある、一つの流行だ。われわれは、これは全体としては結構な習慣だが、時に「カリフォルニア風」の長大な、過度の自己反省となる傾向があると思う。そういうわけで、われわれはこの最後の節を短いものにするつもりだ。なんであれ、洞察力のある読者の方々は、われわれの意見の要となるところの特徴をすでに推察している結果になるのではないかと思っている。

 

われわれは英国人とフラマン人のペアであり、正式な教育としては現代史、哲学、工学、政治学を専攻した。われわれはいくつかの価値と信条を同じくしている。たとえば、公共部門は特徴的‘である’のか、公共部門(集団)による多くの社会問題へのアプローチは好ましいのか、もしくは必要であるのか、もしくは究極的にさけられないものなのか、などがあげられる。また、行政による実行の沈滞した内容は、実際には改革の最終効果にとってきわめて重要であること、可能性のある対市民影響は通常、マネジメントの「改良」の「成否」のもっとも強力な(だが、しばしばおそろしく実行が困難な)検証であること、などもそうだ。さらに、われわれの認識では、言葉というものが意味深長で、あてにすれば裏切られるものであり、かつ大半の国においてパブリック・マネジメントの改革の持つレトリカルな効果という特徴がかなり見られる。だからといって、かかる改革が主として「空騒ぎ」にすぎないというわけでは「ない」。逆に、レトリックについて何らかの理解を持つことが、改革のダイナミズムの特徴を確認するためにきわめて重要なのだ。オズボーン、ゲイブラー共著の『行政革命』を、中立で学術的な著作だという幻想のもとに読破しようと試みる人は、誰もが自分がかなりやっかいな羽目に陥ったことに気づくだろう。改革の専門用語は、露骨に人を説得する目的を持っていて、詳細にわたるマネジメントの変化(しばしば退屈)―一方の極―と、潜在的観衆が大切だとう価値(「公正さ」、「能率」、「責任」、「統合」など)―他方の極―との結合を、少なくとも数章にわたり、ほのめかすか、はっきり主張するか、そのいずれかに終始する。

 

われわれは、単一の理論やアプローチに依存するつもりはない。一方、やや「徹底的に客観的である」とか「いずれの理論にも依存していない」と主張するのはばかげている。われわれのスタンスはおおむね、社会学者の中には「臨界的モダニスト(critical modernist)」と呼ぶ人もいるであろうところである。換言するなら、われわれは依然、理論と仮説の帰納的検証の重要性を堅持しているが、これが一つの検証方法にすぎないことは認めるし、反証のための適当な条件が満たされたかどうかについての議論は決して終わらないことも認める。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION