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第三に、‘パブリック’・マネジメントとマネジメント‘一般’との関係も論議の的となっている。パブリック・マネジメントの改革についての論文の書き手(われわれもまた、その一人である)は、ほとんど全員、多くの国々において、過去20年間に、公共部門が営利部門の創り出したマネジメントについての考えと技術を多数借用してきたことを認めている。しかしながら、それがどれほど「良かった」のか、そしてどこまでそうするべきなのか、議論が闘わされている。そうすべきだと考える人もいれば、すでに借用しすぎているという人もいる(むろん、いずれの論も、営利部門の技術が公共部門の一部には「適合」するが、それ以外には「適合」しないのであれば、有効たり得る)。それぞれの論者のとった立場は、行政は独特で分離独立した分野だから「営利部門の方法」によって汚されるべきでないという立場から、その反対に営利企業の方法と商業文化こそ、伝統的な行政固有の、多岐にわたる病理の解決策だという立場(Gunn, 1987)まで、多岐にわたる。メトカーフとリチャーズの定義は、この両極端の中程に位置しており、行政はミクロ・レベルにおいては、民間部門に見習うべきものを多く持つとはいえ、マクロ・レベルでは‘独自’であると考えているらしい。われわれ自身の立場は、これまた「中間」であるが、まったく同じ程度に「中間」であるわけではない。われわれは民間発のアプローチの適用可能性と適正さが‘レベル(マクロ/ミクロ)’によって変わることはないと主張するだけでなく、技術的かつ政治的特徴の問題点についても論じる(Clarke and Newman, 1997, pp.99-101; Lane, 1997, p.307; Pollitt, 1998a; Stewart, 1992)。(むろん、技能に関わる要因もある。政治的特徴と技術的特徴が民間技術の導入にとって好ましいものだったにせよ、実行者が必要な技能を欠いていて、「それを混乱に陥れる」可能性もある)。

 

第四に、五つの定義はすべて、方法は異なるが、マネジメントはある程度中立で技術的な過程ではなく、政治や法律、そしてさらに包括的な市民社会と固く密接に絡み合った活動だということを想起させる。価値を負荷された選択を無数に含み、より包括的なイデオロギーによって影響されるものなのである。

 

ここまでは「パブリック・マネジメント」を問題にしてきたが、これからは本書タイトルのそれ以外の部分、すなわち「改革」に話題を転じよう。

 

英語の「改革」は、代替可能な語や競合する語の集合体(この中には、意味深長なことに「転換(transformation)」や「再創出(reinvention)」といった民間の用語のいくつかもまた、それより長い歴史を持つ公共部門の用語である「近代化」や「改良」と同じく含まれている)のうちの一語にすぎないことは知られている。「改革」はそうした同義語のすべてと同じく、単なる変化を意味するのではなく、‘有益な’変化―あまり好ましくない(過去の)状態から、より好ましい(未来の)状態への、熟慮された動き―であることを強く暗示しているという意味において、「意味深長な」用語である。われわれはこれを、マネジメントの改善を強く求める人々の多くが意図するところを特徴づける表現として了解しているが、その一方で変化の実際の結果、主たる「役者」のだれにせよ、全員が、より好ましいというよりはむしろ、より悪化した結果を経験するかもしれない可能性をただちに受け入れる準備がある。それゆえ、本書が「改革」という語を用いたからと言って、われわれが必然的な改善や進歩、あるいは「社会進化論」を信奉している兆候だと解釈するべきではない。

 

 

 

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