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2] 観光地づくりの沿革

・1930年代に、ウブドゥのスカワティ王族は宮廷に外国人の画家を含む多くの芸術家を招待し、美術団体の「ピタマハ」を設立した。1937年には初めてホテルが設立された。1950年代から主にヨーロッパからの観光客が増加し始めた。

・1970年代からはバックパッカーなど、比較的に若い格安旅行客がウブドゥを訪れるようになり、上流階級だけでなく、一般の住民もホームステイや飲食店を次々と開業し始めた。街が急速に成長したのはこの時期以降である。

・1980年に州はウブドゥをバリ島全16ヵ所の「指定観光地」と指定し、80年代後半から、カルチャーツーリズムの代表的な観光地として位置付けられ、街の整備とともに観光事業などの開発がさらに進んでいった。

・ここ20年は、観光客の来訪が急速に増加してきており、最近は年間およそ75,000人がウブドゥを訪れる。観光施設に対する需要が開発圧力となり、ウブドゥ周辺の狭い道路沿いを中心に、農地が次々と住宅・商店・ホテルなどに無計画に転用されてきた。政府が定めた地域空間計画(SAPTA)とは裏腹に、現在ウブドゥ南部の平地はほとんど市街地に覆われている。人口の増加や観光業の成長とともに、市街地が増大し、道路外れの水田が次々と住宅や観光施設に転用されてきた。現在は、道路から水田がほとんど見えず、ウブドゥ行政村南部の平地が市街地に覆われる。数ヵ所では、旅館からの農村景色を守るためかのように水田地が残されている。1990年代にはウブドゥ郊外の農業地やアユン川渓谷といった緑地にホテルの開発が進んだ。

・バリ島のカルチャーツーリズムを代表する観光地として、ウブドゥの経済基盤はホテル業・飲食業・旅行業や、美術の販売など観光関連の産業である。観光事業は主に現地住民が所有し経営するので経済効果が大きく、バリ人が経営するので文化特色がつよい。ウブドゥ宮廷の貴族は土地を多く所有し、伝統文化を守りながらも観光業(ホテル経営など)にも深く関わる。

 

3] 持続的な観光地づくりの取り組み

■伝統組織による観光協会の運営

・ウブドゥの観光団体ビナウィサタ財団(Yayasan Binawisata)は、ウブドゥ宮廷の貴族Tjokorda Raka KertiyasaとNyoman Suradnyaを中心に、1981年に設立された観光協会である。その当時は、ビナウィサタは完全にボランティア団体として運営され、ウブドゥのMumbulにあるTjokorda Raka Kertiyasa氏の自宅が事務所となった。ビナウィサタは1983年に財団法人として登録された。その後、貴族でない住民の人達が財団の運営体制を解放するように強く要請した。これを受けて、より広い層の参加をもらうするために、それまでに非公的に運営されていた財団は、ウブドゥ行政村による管理にまかされた。財団事務所は行政村の役場の隣に移転した。

 

 

 

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