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その一方で白浜は湯崎と対比されて、近代性と共に日常的な規律や旅客の階層の高さが語られ*60、スポーツ施設、そしてダンスホールやフランス料理店を備えた白浜ホールなどといった、欧米のイメージを喚起する諸設備が高い階層の象徴資本となっていた。

特にこの白浜の欧米イメージは、若者達にとっては、海水浴場を中心にモボ・モガの活躍するファッショナブルなモダン文化空間を描くための重要な象徴となり、欧米の女性の白い肌や派手な水着で戯れる若い男女の姿*61が生き生きと描かれた。また白浜宣伝に大きな役割を果たしたとされる、昭和8年に大阪朝日新聞連載の恋愛小説の『新しき天』で、千畳敷の彼方がアメリカだと主人公が言ったため、若い男女の心中を中心に自殺者が激増したとされる。*62昭和9年だけでも絶壁の三段壁や千畳敷からの自殺者は23人未遂者54人を数え*63、白浜は関西の三原山と呼ばれるまでになっていた*64。このように恋愛の象徴的中心となった白浜は「毎日に十組以上、多い日は二十組からのうら若い新婚客が来遊し泉都に喜悦を明ろうな気分をただよはしてゐる」*65と、戦前期において新婚旅行の巡礼地になりつつあった。

以上ように、白さや近代性が強調された白浜温泉は、地理的なイメージとしては特に欧米への想像力が喚起されており、近代性や権力といった日常性が語られる場合もあれば、それとは根本的に異なる規律崩壊の彼方の理想郷が表現される場合もあった。また地元の知識人は、白浜土地の温泉掘削事業によって地球の裏まで穴があき「アメリカが見れると云うので…白濱、ニューヨーク直通エレベータ会社を目下計画中」*66と夢物語を語り、その近代的な開発に理想の国のアメリカの想像力を託していた。このように白浜土地の事業のほとんどが欧米への想像力を喚起するものであり、日常性と非日常性の両義性を表現し、境の空間であることを演出するための重要な象徴的レパートリーとなっていた。

 

(3) 南国イメージの形成とヘテロトピア-南紀白浜温泉へ向けて-

a 都市及び競合する観光地との差異化の動き

白浜への鉄道到達や白浜土地の近代的開発事業は、都市住民の活動する空間の中へ白浜を包含する一方で、観光の目的地に必要な異他性を次第に減衰させていくことにもなった。さらに温泉地を中心とした他の競合する観光地との競争も考えられ始め、「都市」と「他の競合する観光地」との重の差異化*67を図るために、それまでと異なった意見や開発も見られるようになる。

 

*60 北尾錬之助『近畿景観 第四編 紀伊 伊賀』、創元社、1933、464頁。

*61 前掲60

*62 『大阪毎日新聞和歌山版』1935年8月8日

*63 宮崎伊佐朗編『瀬戸鉛山村勢一覧』、瀬戸鉛山村役場、1935、87頁。

*64 『大阪毎日新聞和歌山版』1935年8月8日

*65 『和歌山新報』1935年11月7日

*66 宮崎伊佐朗『ふるさと白浜』、白濱文化倶楽部、1951、328頁。

*67 Goss, J., ‘Placing the market and marketing Ppace: tourist advertising of the Hawaiian Islands, 1972-92'.Environment and Planning D: Society and Space, 1993, 11, pp. 663-668.

 

 

 

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