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さらに彼は自身が見聞したいくつかの欧米のリゾートを参考に「最新の理論を考察しつつ」野外劇場・美術館・図書館・動植物園・水族館のような施設を要求し、当時の日本では類を見ない欧米風の海浜リゾート建設を目指していった。

b 近代的温泉リゾートと天皇行幸

一方、事業主体である白浜士地は、まず温泉掘削に着手して「新湯崎温泉」として売り出しを企図しており47、本多のように海水浴場を中心とした海浜リゾートを志向するよりも、湯崎温泉の延長線上で開発を行おうとしていたことが伺われる。ただ、地元の対立関係のため湯崎の名を使用できず、代替案として湯崎七景にも数えられる景勝地の白良浜を社名に掲げ、大正10年頃からは大阪商船が慣例化した「白浜」の名を温泉場売り出しの象徴とし*48、湯崎温泉とは異なる場所イメージを創り出していくことになった。そこで白浜土地は、当時の地元住民にとっての白良浜が硝子原材料として販売できる数少ない現金供給地であったため、まず自社の象徴を保護するために大正12年に賠償金を支払い採砂を禁止させている*49

 

*47 前掲33 p.49.

*48 前掲45

*49 前掲38

 

 

 

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