次に、神農架第二の街で、観光開発の中心的存在である木魚鎮に入った。松柏鎮が、従来の町並みはそのままに、ほんのわずかに「“野人”」カラーを色づけしていただけであったのに対し、ここでは建築や、街の区画整理などに大きく手が加えられている最中であった。鎮の入り口にテーマパークの入場ゲートのような看板を掲げ[写真2]]、メインストリートに軒を並べる店をすべてログハウス風のお酒落なデザインに統一しようとしていた[写真3]]。そしてその多くは未完成で工事中であった。できたばかりのように小綺麗な食堂に入ったが、つい最近まで農業を営んでいたという中年女性が主人で、客扱いに馴れていない印象を受けた。その他の店の人間も、観光地の商売人にしてはすれたところが少しもなかった。茶畑も多く、神農架の特産物としてお茶をPRする看板をそこここに見かけた。
その木魚鎮から5キロほど離れたところに、自然保護区の入場ゲートがある[写真4]]。上述の通り、外国人の立ち入りが認められたのは1994年。筆者が訪れるほんの4年前のことである。その自然保護区内、かつて“野人”調査本部が置かれていた小龍潭地区には、観光案内センターと、宿営地が設置されていた。売店やレストランなどが完備され、旅行客の休憩地点となっている。宿営地には10棟のバンガローが並び、内部には8人が泊まれるよう、二段ベッドになっていた。ただし、筆者が訪れたときにはまだ電気が通っておらず、夜はロウソクの光に頼るしかなかった。バンガローの前は、テント設営用の敷地になっていた。すぐ近くには珍獣、金絲猴の檻などもあり、訪問者を楽しませる。