開設理由から、牧場訪問を望むツーリストの数がこれ以前に増加に転じていたことがわかる。また、「牧場や馬についての知識を提供する」必要があるのは、通常そうした知識を持つ乗馬愛好者ではなく、それまで身近に馬に接した経験を持たない競馬ファンが多かったためである。それでも、後述する平成3年以降に較べ、観光者の増加ペースは穏やかであった。というのは、少し後の話であるが、平成元年春に静内町の二十間道路に「タマモクロスとニッポーテイオーに会いに行った」旅行の経験者は、「他に数人、同様な見学者がいた。今では信じられないほど、当時はまだ(見学者が)少なかった」、「牧場オフィスで馬の名前が入ったTシャツを買った」等と述べている。Tシャツなどの販売が行われていたのは、このような人気馬が複数いる牧場に観光者が集いだしていた現れであろう。
(6) 昭和60年代2] 観光政策の活性化
昭和60年代に入ると、自治体等の観光振興の動きが、活発化する。
昭和60年、新冠町長は、町の重要課題として「観光による産業振興」を掲げ、ゴルフ場誘致の検討を含むコンサルタント委託の意向を示した。昭和63年に拓銀総研による報告書が提出され、地域の馬産を活かした乗馬などによる観光振興が提案される。平成2年に新冠観光協会は、サラブレッド銀座有効活用調査研究会を組織(平成4年報告書提出)したほか、国道沿いの馬の大壁画や新冠八景の案内看板を作成した。静内町では、二十間道路が建設省「日本の道百選」に選定された(昭61)翌年、町職員による観光振興プロジェクトが発足した。続いて、町商工会がむらおこし事業を発足させた(昭63)20。町では_十間道路を観光振興の中核地区と定め、これにちなんだ桜と馬のシンボルマークを決定、特産品開発に取り組む21。後には、二十間道路入り口付近に桜舞馬公園(オーマイホースパーク)を整備した(平3)。日高管内の観光協会は合同で、PRビデオ「サラブレッドのふるさと日高路」を制作した(平1完成)。浦河町では、平成3年、大プロジェクトである「優駿の里整備事業」が開始された22。
(7) 平成元年 ノーザンホースパーク
民間では、平成元年に、ノーザンホースパーク(苫小牧市)が開園した。馬産牧場として国内最大手である社台グループによる、乗馬クラブ併設の観光牧場である。グループが有する有名種牡馬の名がつけられた飲食施設を備え、休養中の現役競走馬が乗用馬と並んで舎飼されていたり(後に隔離)、そこにいる乗用馬にかつて競馬場を沸かせた馬が混在したりと、開業当初より競馬ファンの目をひく施設であった。新千歳空港至近で、旅行社のツアー立ち寄り場所としても重宝されている。同施設については、グループ牧場の宣伝鴉や新人教育機関としても機能していることもあって採算度外視ではないかとも一部で聞かれたが、順調に入場者数を延ばし、年間40万人を集客している24。
20 町内で映画「優駿」ロケが行われた年でもある。宮本輝原作、60年に連載開始、63年映画封切り。
21 「サラブレッド焼酎」など。この他、後年、同町生産の米は「万馬券」と名付けられた。
22 自治省リーディングプロジェクト指定を受け、総事業費55億円。平成10年に中核的施設である乗馬リゾート施設AERUが開園した。この開園をして、町役場職員は「浦河町の観光元年」という。
23 存在自体もそうであるが、グループ牧場の成功軌跡を展示するミュージアムも備えている。
24 平成10年以降は、民間によるセリの会場となるなど、コンベンション施設としても機能している。