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(4) 昭和50年代3] 日高ケンタッキーファームとそのPR戦略

門別町に「日高ケンタッキーファーム」が開業したのは、昭和53年である。創業者は同施設に隣接する軽種馬生産・育成を行う白井牧場の牧場主で、学生時代は乗馬選手だった白井民平氏である。氏の実家は東京であるが、乗馬留学の後、馬産業に参入した。

日高ケンタッキー・ファームの開業には、リスキーな馬産を行う上での経営の多角化と乗馬文化振興の意図が汲める17。同施設は、都市圏の乗馬に興味を持つ女性を対象に「乗馬とファームスティ」をアピール、日本航空とタイアップ(「日航ジェットプラン」)するなど、当時の日高の観光業にあっては画期的な動きを見せ、地域に新たな観光者を招じ入れた18。昭和56年(創刊)〜62年にかけての『乗馬ライフ』(隔月刊)誌では、ほぼ毎号、この施設の広告が乗馬ファンを産地へ誘っている。外乗り乗馬コースの紹介には、早くから「3億円の種牡馬スティールハートのいる下河辺牧場」といった、競馬ファンの興味に通じるコメントも見られる。また、昭和62年秋号には、「サラブレッド王国を訪ねる旅名馬の日高路」という記事が4頁にわたり掲載された18。推奨宿泊施設として同ファームが紹介され、同施設と日本航空の名が欄外に明記されているから、提携記事であろう。同ファームの事業展開は、施設周辺の牧場の種牡馬、仔馬の誕生や、その幼いかわいらしさなどを、積極的に市場アピールしている。これらを観光資源として見いだし、地域からサラブレッドの観光をPRした先駆けである。

 

(5) 昭和60年代1] 競走馬のふるさと案内所

競走馬のふるさと案内所は、昭和61年、静内町神森に新設がなった北海道市場の敷地内に開設された。日本中央競馬会の出資・指導、軽種馬協会と軽種馬農協が業務委託された。設立の理由は、「競馬ファンに馬産地の情報を適切に知らせること」であった。当時の観光客において「馬とのふれ合いを求める人、馬に対しての問い合わせ等も年々増加して」いたが、「繁殖期の忙しい時期、また防疫上安易に見学者を受け入れ難い事情もあるので両者の調整を図り生産者の障害とならないように、競馬ファンに牧場や馬についての知識を提供する」意図による19。同案内所は、翌年以降、中央競馬重賞レース勝ち馬の所在が掲載された『牧場地図』と、観光者向けの馬産地情報誌『とねっこ』を発刊している。

 

17 競走馬の牧場経営における投機性の高さは、小林(1986)など。このリスク軽減の意味からか馬産家が一般に冒険心に富むのか、他にも八木牧場が70年代にドライブインやモーテル経営を行った例や、大手牧場グループによるノーザンホースパーク開園(後述)などがある。

18 オーシャンライフ(1886)pp.38-45.(1987)pp.26-29.

19 『静内町史』pp.892-893

 

 

 

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